社会・政治
中曽根康弘元首相の人生訓は「結縁・尊縁・随縁を大切に」
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2019.12.04 06:00 最終更新日:2019.12.04 06:00
「事務所に入って最初に、『結縁・尊縁・随縁を大切にしなさい』と、中曽根先生に言われました。これは先生の造語。『縁を結んだら、その縁を尊び、その縁に随(したが)う』という意味だそうです」
こう述懐するのは、大勲位・中曽根康弘元首相のもとで、20年以上にわたって秘書を務めた、田中茂・前参議院議員だ。11月29日、大勲位は、101歳で大往生を遂げた。
【関連記事:101歳で死去した中曽根康弘元首相、長寿の秘密は「座禅」だった】
中曽根元首相といえば、弱小派閥を率いて、政局の風向きに迎合する姿勢から「政界の風見鶏」などと揶揄されていた時代もあった。1970年、防衛庁長官を務めたころからのことだ。
だが、1982年に首相に就いてからは、アメリカのレーガン大統領と「ロン」「ヤス」と呼び合う蜜月関係を築き、所有していた別荘「日の出山荘」(東京都日の出町)には大統領夫妻を招待した。
さらに、国鉄(現・JR各社)や電電公社(現・NTT)などを次々と民営化。1997年には、最高位となる「大勲位菊花大綬章」を受章した。戦後の首相で生前に受章したのは、吉田茂元首相、佐藤栄作元首相と、中曽根氏だけだ。
「先生と最後にお会いしたのは、2017年の “白寿” のパーティでした。今年の夏、軽井沢の別荘に行かれた際に体調を崩し、帰京後に入院されたのです。それきり、帰らぬ人となってしまいました」
そう語る田中氏は、大勲位が残した言葉を、いまでも心に深く刻んでいるという。
「仕事では、『内容よりもスピードを大切にしろ』とよく言われました。『すぐやることで、10%のものが100%の効果を生む場合がある』との考えからです。
死生観も、堂々としていました。『今を生きることが人生なのだから、死ぬことなど、考えたことがない』とも仰っていました」
「戦後政治の総決算」を掲げて首相に就任した大勲位にとって、憲法改正は悲願だった。田中氏はこう振り返る。
「そのことは、生涯変わりませんでした。ただ、年を重ねるにつれて、『国民の合意がないままやるより、時間をかけてやるべき』と、仰るようになっていきました」
国民投票法改正を急ぎ、憲法改正を拙速に目指す安倍政権は、大勲位のこの「遺言」に、耳が痛いに違いない。
さて、学生時代から俳句を趣味とした大勲位。首相在職時に詠んだ句がある。
《くれてなお 命の限り 蝉しぐれ》
大勲位の“蟬の声”は、鳴りやまない。
(週刊FLASH 2019年12月17日号)