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安倍首相の研究/岸信介と安倍晋太郎から受け継いだ政治家のDNA社会・政治 投稿日:2020.01.01 06:00

安倍首相の研究/岸信介と安倍晋太郎から受け継いだ政治家のDNA

 

 1948年12月。東条内閣で商工大臣として宣戦布告の書類に署名し、敗戦後、A級戦犯として巣鴨拘置所に収監されていた岸信介が、不起訴のまま釈放された。

 

 その信介の娘・洋子が、毎日新聞の記者をしていた安倍晋太郎と結婚するのは1951年。信介が1953年4月の総選挙で政界復帰し、外務大臣になったのを機に晋太郎は仕事をやめ、信介の秘書となった。

 

 

 そこで政治とはどんなものかを目のあたりにする。晋太郎の父・寛も長州出身の政治家だったが、その世界は違いすぎた。

 

 1957年2月、信介は政界復帰してわずか4年で総理大臣に就任する。政治ジャーナリストがこう話す。

 

「信介は、就任してすぐにアメリカとの安全保障条約、いわゆる安保改定に向けて着手した。彼はまず訪米し、日米両国間が安保改定に取り組むことを公式に認めさせた。そして1960年6月19日、改定安保条約は日本において自然承認となる」

 

●晋三の目に映った祖父の信念

 

 晋三は、1954年9月21日、安倍家の次男として生まれた。父の晋の字をとったが、そこには長州の志士・高杉晋作の魂も受け継いでほしいという願いも込められていた。

 

「晋太郎の妻・洋子はよく幼い晋三と長男の寛信を連れて信介の家に遊びにきていた。安保闘争に揺れる時代で、その自宅の周囲は安保改定反対を叫ぶデモ隊が取り囲んでいるわけです。

 

 まだ何も知らない晋三は、家のなかで片手をあげながら『あんぽ、はんたーい。きし、たおせ!』と信介のまわりを歩いて遊んでいたそうです」(前出・政治ジャーナリスト)

 

 しかし、そんな幼き晋三の脳裏に焼きつき、原体験となったのは、デモ隊に自宅を囲まれても平然とし、孫に笑いかける祖父の顔だった。

 

「信介は総理になったのと同時に、内閣に憲法調査会を設置し、退陣したあとも憲法調査会で憲法改正の議論を続けさせ、1964年7月に最終報告書を池田勇人首相に提出する。しかし、これを池田は黙殺するんです」(同)

 

 安保改定を果たし、目的を達成したかのように見えた信介だが、巣鴨拘置所から奇跡的に釈放された彼が胸に抱いていたのは、安保改定のその先にある、憲法改正だった。

 

 だが、信介は志半ばで、1987年8月にこの世を去る。

 

●安倍家を襲った突然の不幸

 

 1958年に初当選した晋太郎は、中曽根内閣で外務大臣にまで上りつめた。晋三は神戸製鋼でサラリーマン生活を送っていたが、この父の大臣就任を機に大臣秘書官となった。

 

「この時代、晋三は晋太郎を頼って陳情にきた、北朝鮮によって拉致された有本恵子さんの母・有本嘉代子さんに出会うんです。この出会いをきっかけに晋三は拉致問題に取り組み、のちの小泉訪朝の際は官房副長官として同行。その後、幹事長というポストに大抜擢されるんです」(政治部記者)

 

 一方、父・晋太郎も、1986年7月に第3次中曽根内閣の成立とともに、自民党三役の総務会長に就任。同時に福田赳夫に代わって派閥の会長に就任した。岸信介が築き上げた政治家一族の名を途絶えさせないため、権力の頂点へ着々と上りつめていた。

 

 そして1987年を迎える。安倍一族にとって大きな意味を持つ年だ。

 

 ポスト中曽根をめぐり、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一が名乗りをあげたが、三者会談で話がまとまらず、中曽根への一任となり、総理の座は竹下に渡る。晋太郎が以前落選したことが影響したといわれる。

 

「とはいえ、永田町では次こそ晋太郎というのが既定路線でした。ところが、1989年4月18日に晋太郎が体調を崩して入院。すい臓から十二指腸、胃の一部まで取りました。医者から伝えられたのがすい臓ガンで、余命2~3年の状態だった。さらに、4月25日に竹下がリクルート事件を受け、辞意を表明するんです」(前出・政治ジャーナリスト)

 

 まさに断腸の思いだっただろう。しかし晋太郎はそれでも総理の座を諦めなかった。1990年1月、ソ連・ゴルバチョフ大統領との会談を果たすために訪ソする。外交の安倍として、起死回生を図ろうとしていたのだ。

 

「このときも体調が明らかに悪く、顔色も土気色で、それを隠すために顔にドーランを塗ったといわれます。そこまでするのは、総理への執念でした」(政治部記者)

 

 訪ソを果たした晋太郎は、今度は総選挙に臨み、自分の派閥の新人議員を大量当選させる。1991年4月、来日するゴルバチョフ大統領との会談をなんとかこなすが、1カ月後の5月15日朝、晋太郎はこの世を去った。

 

 晋三はその後を継ぎ、政治家になるとともに、山口県にある、東京ドーム18個分の土地をはじめ、膨大な資産も譲り受けることになる。しかし、相続したのは資産だけではない。総理の座を射止めるという「義務」もまた譲り受けることになったのだ。

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