●「安倍家」のルーツはどこにあるのか
岸信介、安倍晋太郎、晋三の3代にわたる「華麗なるDNA」。そもそも「安倍家」のルーツはどこにあるのか。
「安倍という姓は第8代孝元天皇の時代に遡ります。神を饗宴でもてなす役を担っていた人々を『饗(あえ)』と呼びますが、これが転じて『あべ』になったと伝えられています。アイヌ語で『火』を意味する『アペ』に由来しているという説もあります」と日本人の姓名に詳しい関係者。
晋太郎は生前に「我が祖先は奥州(岩手県)の安倍宗任である」と語っていた。宗任は平安時代の武将。源頼義との戦いで負けたため、四国の伊予国(愛媛県)や九州筑前国(福岡県)に配流されたのち、松浦水軍となった子孫が、現在の山口県大津郡に移り住んだという。
明治以降の安倍家は酒や醤油を醸造する庄屋で、近在でも有数の資産家だった。晋太郎の父・寛も衆院議員だったが、安倍家の「華麗なる系譜」は晋太郎が岸信介の娘・洋子と結婚したことで築かれたといっていい。
●まるで戦国時代の政略結婚のよう
「岸信介と佐藤栄作は実の兄弟ですが、家系図を見てもわかるように、岸家も佐藤家も内部の関係は複雑です。まるで戦国時代の政略結婚のように養子縁組をしています。
まず佐藤栄作と、元外相の松岡洋右(国際連盟脱退時の日本代表)を伯父に持つ寛子夫人はいとこ同士なんです。松岡家の政治家としてのDNAを絶やさないため、佐藤栄作と結婚したともいわれています。
そして佐藤家の次男・信介が、父・秀助の実兄である岸信政に男子がいなかったため、良子と結婚して養子になりました。その一人娘の洋子が晋太郎と結婚し、安倍家の隆盛へとつながっていくのです」(政治部記者)
だが、こんなエピソードがある。晋太郎が初めて選挙に出たとき、どこへ行っても「岸信介の息子です」と紹介されることに辟易し、「安倍寛の息子なんだけどな」とボヤいたというのだ。内心は複雑だったのかもしれない。
しかし、そんな感傷は胸の奥にしまい、晋太郎は三男の信夫を洋子の兄・信和のもとに養子に出して、岸姓を名乗らせる。信和の夫人は、父が衆院議員、さらには明治の元勲・井上馨元外相に連なる系譜である。
一方の佐藤家に目を向けると、従弟が吉田茂元首相の長女・桜子と結婚。その桜子の妹・和子の長男が吉田茂の孫、麻生太郎元首相となる。
安倍家は経済界にも強いつながりを持っている。晋太郎の異父弟は元みずほホールディングス会長の西村正雄であり、晋三の兄・寛信の夫人はウシオ電機創業者の長女だ。また晋三夫人の昭恵の父は元森永製菓社長である。
世襲議員が多い永田町でも、これだけ華麗な家系図を持つ議員はいない。連綿と受け継がれてきた政治家のDNAは、たしかに安倍首相に受けつがれている。