ようやくアメリカについたエスターさんたちは、隔離場所となる南カリフォルニアのマーチ空軍基地に向かった。72時間の隔離と言われていたが、その期間は2週間に変わっていた。
基地内であてがわれた部屋はトイレに隣接した個室で、冷蔵庫と電子レンジつき。室内清掃サービスも来る。隔離中の滞在費は無料だが、ちょっとしたホテルのような雰囲気だ。
毎朝10時に中庭で集会があり、健康診断がおこなわれた。隣の人とは1.8メートル(6フィート)離れるように、また子供同士がくっついて遊ばないようにとの指示があった。検診は1日に2回。アクティビティも用意されたが、エスターさん達はほとんどの時間を自室で過ごした。Wi-Fiはなく、本も小さな子供向けのみ。15歳の娘は退屈しきって、幼児向けの塗り絵をして過ごした。
ここでも宗教に即したメニューがないため、地域のユダヤ教指導者に食材や電気プレートを用意してもらい、自炊したという。
ある日、エスターさんの夫が、車で6時間離れた場所から差し入れを持ってきてくれた。喜んで外に出たら、即座に銃を持った兵士に囲まれてしまった。隔離中の身分を思い知らされたエピソードだ。結局、すぐそばにいる夫には会えずじまいで、差し入れだけが部屋に届いた。
彼女たちが滞在した場所は空軍基地内の限られたエリアで、兵士や職員らと接しないように区別されている。後日同じ基地に隔離されてきたグループとも接触しないように配慮されており、顔を合わすのは同じグループのメンバーのみである。
幸いにも、このグループで陽性反応が出た人は1人もいなかった。2週間の隔離が終わったときには、アメリカの卒業生が帽子を空に投げるように、皆でマスクを空高く放り投げる光景が繰り広げられた。解放されたエスターさんが、自宅まで夫の車で戻り、残されていた2人の子供に会えたのは翌日のことだった。
13歳の次女が「welcome home(おかえり)」と手描きの看板を作って迎えてくれた。母なしで1カ月半を過ごした子供たちの気持ちを思うと、涙がこみ上げてきた。自由の身となった今は、「本当に本当にフリーだ」と感じていると話してくれた。
エスターさんは、アメリカ政府の迅速な対応に感謝している。
特に、解放される日の朝、管轄の衛生局が「ここにいた人たちは新型肺炎に感染していない。彼らが批判されたり避けられたりすることのないようにしてほしい」とメディアに念を押していた光景は忘れられない。それでも周囲の住民感情に配慮し、しばらくは家の中でおとなしく過ごすつもりだ。
インタビューの最後、エスターさんは、日本で同じような境遇で苦しむ人たちに対して「幸運を祈ります」と語って、静かに電話を切った。(取材・文/白戸京子)