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日本の政治が動くとき…いつでも「高級ホテル」が舞台だった

社会・政治 投稿日:2020.03.06 06:00FLASH編集部

日本の政治が動くとき…いつでも「高級ホテル」が舞台だった

1972年、自民党総裁選当日の朝に開かれた、田中角栄派の朝食会。田中の背後には、若き日の小沢一郎の姿が(写真・時事通信)

 

 それでは、高級ホテルを舞台にした、政治史に残る “事件” の数々を紹介する(文中人物の敬称略)。

 

【ホテルニューオータニ】
 ザ・メイン、ガーデンタワー、ガーデンコートの3棟からなる。高級レストランが多いことから政治家がよく使う。安倍晋三の実母、洋子氏と、ニューオータニの大谷和彦社長が昵懇であることはよく知られている。

 

《愛用する政治家》
稲田朋美、小沢一郎、石原伸晃、金田勝年ほか

 

《政治事件》
●1972年/田中角栄が自民党総裁に
 佐藤栄作が退陣したあとの自民党総裁選で、三木武夫、大平正芳、福田赳夫、田中角栄が激突。中曽根派の支援を受けた田中が勝利を収めた。
 上の写真は総裁選当日の朝、ホテルニューオータニで開かれた田中派の会合の様子。田中の背後には、若き日の小沢一郎が立っている。

 

●1993年/5党党首会談
「非自民非共産」の勢力結集を、民社・社会・新生・公明・社民連が合意し、細川護煕連立政権誕生の布石に。会談はカレーライスを食べながら1時間で終了。永田町でも、「大丈夫か」と揶揄された。

 

【ホテルオークラ東京】
 政治家が、もっとも愛用するホテル。入口が複数あり、マスコミに捕捉されにくい。麻生太郎は、ここの「オーキッドバー」がお気に入り。サウナやプールにも政治家多し。2019年に「The Okura Tokyo」に生まれ変わった。

 

《愛用する政治家》
石原伸晃、麻生太郎、松本純、塩崎恭久ほか

 

《政治事件》
●1983年/中曽根首相、田中角栄に辞職を要求
「田中曽根内閣」と呼ばれるほど、蜜月の2人だったが、「ロッキード事件」の一審で有罪判決を受けた田中角栄に対し、首相の中曽根康弘は議員辞職を進言。2人きりの会談は1時間半に及んだ。
 結局田中は辞職せず、しかし国民からは「目くらましだ」と批判され、同年末の総選挙で、自民党は大きく議席を減らした。

 

●2000年/加藤の乱
 野党の森喜朗内閣への不信任案提出に、山崎拓とともに同調する動きを見せた、自民党・宏池会会長の加藤紘一。側近の谷垣禎一が、「加藤先生は大将なんだから、ひとりで突撃なんてダメですよ」といさめた有名なシーンが繰り広げられた。
 加藤は思いとどまるが、「優柔不断」と言われ、宰相の座から遠ざかる。

 

【キャピトル東急ホテル】
 2010年に全面リニューアルし、「ザ・キャピトルホテル東急」に。首相官邸に、もっとも近いホテルで、安倍晋三も愛用。かつては、ホテル内の「村儀理容室」に小泉純一郎が足繁く通い、ライオンヘアを整えていた。

 

《愛用する政治家》
安倍晋三、塩崎恭久、石原伸晃、加藤勝信ほか

 

《政治事件》
●1992年/「改革フォーラム21」結成
 自民党・竹下派の後継会長が小渕恵三に決まり、これを不服とした小沢一郎は、「改革フォーラム21」(羽田派)を結成。のちに、同派は宮沢喜一内閣不信任案に賛成。自民党を飛び出した。

 

【赤坂プリンスホテル】
 2011年にホテル営業を休止。3000人を収容するホールを持ち、「政治家のパーティのためにつくられたホテル」といわれた。
 ホテル内には、安倍晋三の出身派閥で、森喜朗・小泉純一郎両元首相も属した「清和政策研究会」が事務所を構えていた。運営グループ会社の会長だった堤義明氏と小渕恵三が、早稲田大学の先輩後輩だったことから、小渕も政治資金パーティをよく開いた。

 

●1992年/竹下派分裂
「東京佐川急便事件」で、前副総裁の金丸信が辞職。自民党・竹下派は会長を失い、橋本龍太郎グループと小沢一郎グループの対立が激化した。橋本は小渕恵三を、小沢は羽田孜を会長候補に推薦。前者は赤坂プリンス、後者はキャピトル東急の一室にこもって、多数派工作を続けた。

 


(週刊FLASH 2020年3月17日号)

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