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レストランで大声で電話…目立ちたがり屋の天才だった三島由紀夫

社会・政治 投稿日:2020.03.28 06:00FLASH編集部

レストランで大声で電話…目立ちたがり屋の天才だった三島由紀夫

討論会に臨む三島由紀夫 (C) 2020 映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会

 

 1969年5月13日。この日、東大の駒場キャンパス900番教室で、伝説の討論会がおこなわれた。激化する学生運動の中心にいた東大全共闘のメンバーたちが、天皇主義者だった三島由紀夫に、直接対決を申し込んだのだ。

 

 左派VS右派ともいえる討論会には、唯一の映像メディアとして、TBSのカメラが取材に来ていた。2019年、討論会のフィルム原盤がTBS社内で発見されたことから、映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』のプロジェクトが始まった。

 

 

 監督を務めた豊島圭介氏は、オファーを受けた当時を振り返り、こう語る。

 

「僕は特別、三島について詳しい人間だったわけではありません。主要作品は何作か読んでいましたが、市ヶ谷で自決した奇妙な文豪、というイメージが強かった。ですが、ゼロベースから勉強し、三島に関わる人物たちにインタビューしていくなかで、三島のイメージはどんどん変化していきました」

 

写真(C)SHINCHOSHA

 

 そもそも三島とは、どんな人物だったのか。

 

「目立ちたがり屋の天才だったという話が多かったですね。これは三島と親交のあった横尾忠則さんのエピソードなんですが、2人で銀座のレストランに行ったらしいんです。

 

 横尾さんが周囲に気づかれないようにそっとテーブルに座ろうとしたら、三島は『ちょっと待って』と言って公衆電話まで行って、『もしもし三島だけど』って大きい声で話し出した。皆が注目しているなかで電話を終えて、ご満悦で席についたという(笑)。そういう人だったみたいです」

 

 三島の人物評価を変えたのは、雑誌『平凡パンチ』の編集者だった椎根和氏から、『三島はサブカル界のスターだった』という話を聞いたことが大きかった。

 

「三島は、俳優をやったり映画監督をやったり、あるいは平凡パンチの『オール日本ミスター・ダンディ』コンテストで1位を取ったりしているんです。

 

 もっと、みんなに疎まれていたのかと思っていました。世界的な文豪が政治的な活動を始めて、手に余る存在だったのかと思っていましたが、そうではなかった。稀代のポップスターだったんです」

 

 そんな三島が、東大全共闘に呼び出された。安田講堂を占拠していた東大全共闘が、機動隊に敗北してから4カ月後のことだ。警察による警護も、自身が作った民兵組織「楯の会」の護衛も断り、三島は単身討論会に乗り込んだ。

 

写真(C)SHINCHOSHA

 

 緊迫した状況かと思いきや、1000人ほどの学生たちで埋め尽くされた教室では、しょっちゅう笑いが起きた。豊島監督は「自分で客を味方につける、三島の話芸が光っていました」と語る。

 

「三島の態度は、真摯に若者と会話する立派な大人といえるものでした。一方で漫談がうまくて、『政府関係者は、あなたたちのことをキチガイだというけれど、私はキチガイだとは思いません』とか、『佐藤(栄作)首相を縛り上げる』とか、過激な言葉を放り込んで笑いを取っているんです。

 

 三島は右派で学生運動にも批判的でしたが、『知識人のうぬぼれた鼻をたたき割った』と、学生運動の一部を評価する姿勢も見せました。討論会でお互いを尊重しあう雰囲気は、三島本人が作り上げたものでしょうね」

 

 実際、東大全共闘側は終始、三島を批判したが、ある学生が三島に向かって「三島先生」と口走ってしまい、笑いが起きる場面も。

 

『平凡パンチ』の編集者だった椎根氏は、三島の剣道の弟子でもあり、一緒に行動することが多かった。

 

「三島はよくデモの見学に行ったんですが、そこに椎根さんがついていったことも多かったようです。

 

 道場で剣道の稽古をして、シャワーを浴びたとき、ちょうど東大が陥落する映像を見たらしいんです。椎根さんが『(東大の)安田講堂は大変なことになってますね』と言ったら、三島は『こいつらが一言「天皇(支持)」と言えば、俺は共闘するんだ』って言ったんですって」

 

 左派と右派の間に絶対的な壁があると思われていたなかで、意外にも両派の心情には相通じるものがあったのだ。

 

 討論会の最後、三島は「これまでの討論は問題提起にすぎない」としたうえで、「私は、諸君の熱情は信じます。これだけは信じるということをわかっていただきたい」と話し、悠々と会場を去った。

 

 三島が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺したのは、その翌年、1970年11月25日のことだった。討論会で三島は、遺言めいた言葉を残している。

 

「私が行動を起こす時は諸君と同じ、非合法でやるほかない。『決闘の思想』で人を殺(や)れば、それは殺人犯だから、そうなったら自分も自決でも何でもして死にたいと思う」

 

 キャラの立ちすぎた昭和の偉大なスターは、誰にも理解されずに切腹に至ったのだ。

 

※『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』TOHOシネマズ シャンテほか全国公開中

 

豊島圭介監督

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