実際、メジャーから戻った日本ハム時代には、「新庄劇場」と呼ばれたパフォーマンスで話題をさらい、北海道に移転して間もないチームが、球界きっての人気球団となる立役者になった。復帰後のパフォーマンスも考えているのか。
「俺はいつも、“カンピューター” なので。(2004年9月のストライキ直後に披露した)ゴレンジャーのかぶりものをかぶっての、“ストになっちゃってゴメンジャー” もそう。いまは何も考えてないけど、そのときになったら何か浮かぶはず。やるときは、誰にも言わずに仕込みます!」
メジャー挑戦前の阪神時代に指導を受けた故野村克也氏とは、水と油のような関係に見えたが、2人は固い師弟関係にあったという。
「俺が一方的にグイグイいってたけど、かわいがってもらっていたのは確かです。野村さんが監督に就任した際に、『ミーティングが長すぎるから短くしてください』って言ったんです。
みんな驚愕してましたが、野村さんは受け入れてくれた。だって、人間の集中力は2時間も保てないですし、学校の授業だって50分間じゃないですか(笑)。その後、野村さんが解説者になったとき、落合(博満)監督が2時間くらい練習させているのを見て、『人間の集中力は50分やぞ』と言ったらしいですよ。
野村さんはプロ中のプロでしたけど、俺に『何番を打ちたいんや?』って聞いてくれたり、なにより選手をやる気にさせるのがうまかった。プロになる選手は、本来みんな力があるので、監督のいちばんの仕事はそこじゃないですか。
それだったら俺も断トツでうまいですよ。だから、日ハムで優勝できたわけだし。当時の日ハムって、世間じゃ誰も知らない球団でしたからね。
俺はもともとまわりの選手を乗せるのがうまいし、野村さんの考え方も知ってるので、最強じゃないですか(笑)」
日ハム時代には、「若手を買い物に連れ出し、おしゃれさせることで、やる気を引き出した」という逸話もある。
「デパートに連れていって、『あれ着ろ、これ着ろ』ってね。お金を出すのは全部俺。おしゃれすると、まわりから見られて自信がついて、それがプレーにも繋がる。見られることに慣れると、試合でも緊張しなくなりますから。
ダルビッシュ(有)なんかもそう。俺が勧めたサプリを飲んでいて、『ひとまわり大きくなったね』と言うと、またトレーニングを頑張ってましたからね」
6月15日には、『もう一度、プロ野球選手になる。』(ポプラ社)を発売予定。新著に、どんな思いをこめたのか。
「なぜ、もう一度プロ野球選手を目指すかということも含め、新庄剛志のすべてを晒け出しています。
俺は小さいころに8回も交通事故に遭って、頭を打ったりしているので字が読めないんです(苦笑)。でもそのぶん、違う才能が芽生えたというか、人と違った発想ができる。トム・クルーズやスピルバーグ、エジソンと一緒。
以前、テレビ番組に出たときには、美輪明宏さんと江原啓之さんから、『あなたの右手から金粉が出てる!』って言われましたから。ビジネスマンはもちろん、小学生から60歳のお爺ちゃんまで参考になるはずです」
コロナ禍で暗い話題が続くなか、新庄は「少しでも日本を明るくできれば」と強調する。プロ復帰の道は険しいが、この男が本気なことだけは、間違いない--。
しんじょうつよし
1972年1月28日生まれ 福岡県出身 1989年、ドラフト5位で阪神入団。2001年にニューヨーク・メッツに移籍し、2002年にサンフランシスコ・ジャイアンツでWシリーズ出場。2004年に日本ハムに移籍。2006年の日本シリーズを制し、引退。2010年にインドネシア・バリ島に移住。2019年11月、インスタグラム(@shinjo.freedom)で現役復帰を宣言。インスタライブでも新庄節が炸裂
写真・京介
取材&文・栗原正夫
(週刊FLASH 2020年6月23・30日号)