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野村監督、愛弟子・古田敦也へのボヤきは「理想があるから」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.06.19 06:00 最終更新日:2020.06.19 06:00
2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。野村さんは監督時代、野球界に非常に多くの教え子を残した。現在では、監督やコーチになっている人材も多い。
なかでも、いちばんの教え子といえば、ヤクルト時代の古田敦也氏という。野村さんのマネージャー・小島一貴さんが、野村さんと古田氏の、ある “事件” を振り返る。
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野村監督のヤクルト1年めは1990年だが、この年は、古田氏のルーキーイヤー。以後、監督がヤクルトを退団する1998年までの9年間をともにした。試合中、ベンチで監督が古田氏に何か言い聞かせている様子を、カメラが何度も捉えており、2人の「師弟関係」の象徴として、野球ファンにはお馴染みの光景だった。
1990年当時、前年の実績からすれば、レギュラー捕手は「秦真司氏か、中西親志氏か」といったところだった。しかし監督は、彼らのリードがどうにも納得できず、仕方なく「古田、お前行け」と命じた。それが古田氏を登用するきっかけだったという。
「やけくそで出したんだよ」
監督は、そう述懐していたが、真相はわからない。というのも、このエピソードは、監督が現役時代にレギュラーを掴んだころの話とそっくりだからだ。
監督の著書をよく読んでいる方は、「監督は古田氏のことをあまり評価していない」と感じているのではないだろうか。たしかに監督は、古田氏のことについてボヤくことが多かったから、悪く思っていたようにも思える。
古田氏について聞かれると、「師弟関係とか言われるけど、あっちはそんなふうに思ってないでしょ」と、答えるのが常だった。しかし、ちょっと待ってほしい。監督は自身のボヤきについて、じつはこんなことをおっしゃっていた。
「ボヤくのは、理想があるからだ。『こうしたい、こうなってほしい』という理想があるからこそ、理想とは異なる現実についてボヤくんだ。だから、俺のボヤきはマイナスなことで
はないんだ。それをみんな、なかなかわかってくれない」
つまり、多くボヤく相手ほど、期待が高いといえるわけだ。
監督が古田氏についてボヤけば、メディアはどうしても飛びつく。「かつて師弟関係にあったが、いまは不仲」という構図を作りたがるのだ。しかし監督はその裏で、古田氏を高く評価する発言も多くしている。少しご紹介したい。
「阪神を退団して解説者をしていると、ある年のキャンプ中、古田が若手投手に、こんな声をかけていた。『ストライクゾーンにさえ放ってくれれば、あとは俺がなんとかするから』。
どこかで聞いたことがあるセリフだなと思って考えたら、かつての自分だった。ベテランになってからは、俺も同じようなことを若手投手に言っていた。やっぱり似てくるものだと、苦笑した」
「俺は捕手をやってなかったら、ここまで打ててない。捕手として配球や心理を考えるのを、バッティングに生かしたんだよ。だからいいリードをするのに打てない捕手というのは、よくわからない。
その点、古田は捕手としての知識や経験をバッティングに生かしたよな。ドラフトのときは、『バッティングは目をつぶってください』とスカウトに言われたんだから」
監督は、古田氏の監督の資質について聞かれると、「古田はいい監督になると思ったけどな……」といつもボヤいていた。そしてこうつけ足すのを忘れなかった。「あいつには期待したんだけどなぁ~」