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君は覚えているか!? 名言で見る「オリンピック大逆転劇」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2016.08.15 12:00 最終更新日:2016.08.19 17:32
日本の五輪史において、もっとも記憶に新しいジャイアントキリング(弱者が強者を倒すこと)といえば、2008年北京五輪の女子ソフトボールだろう。前日の2試合に先発完投していた上野由岐子が、決勝アメリカ戦にも先発。
2日間で計413球を投げ抜き、過去3大会金メダルのアメリカを3対1で破り奇跡の初V。米国本国では「北京五輪最大の衝撃のひとつ」と報じられ、日本では「神様、仏様、上野様」という見出しが新聞を賑わせた。
長く低迷していた体操界にあって、今に続く「お家芸復活」の狼煙(のろし)を上げたのが、2004年アテネ五輪の男子体操団体。
最後の試技に臨んだ冨田洋之が鉄棒で完璧な着地を決めて、28年ぶりの団体金メダルをもたらし、「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」というNHK刈屋富士雄アナの名実況もあって、国民の感動を呼んだ。
同じアテネで、奇跡の復活劇を遂げたのが、アーチェリーの山本博。1984年ロサンゼルスから4大会連続で出場も、2000年シドニー五輪は国内選考会で落選。41歳で迎えたアテネで銀メダルを獲得、雪辱を果たした。
個人競技では、競泳に番狂わせが多い。
1988年ソウル五輪100m背泳ぎを、当時は画期的だったバサロ泳法で制した鈴木大地。また、14歳と6日という史上最年少の金メダリストとなり、「今まで生きてきたなかでいちばん幸せです」との名言を残した1992年バルセロナ五輪200m平泳ぎの岩崎恭子や、アテネ五輪800m自由形の柴田亜衣なども、大会前は金メダルを期待されるほどの選手ではなく、ダークホース的存在だった。
リオ五輪で大番狂わせを期待させるアスリートの筆頭は、柔道男子100kg超級の原沢久喜(24)だ。この階級には世界選手権を8度も制し、ロンドンの金メダリストでもある英雄テディ・リネール(フランス)がいる。
原沢は日本大学卒業後、JRAに所属。国際大会で7連覇、ライバルの七戸龍に4戦全勝の実績が買われ、五輪初選出。この男が2mを超える絶対王者テディ・リネールに勝利したとき、日本柔道界は新時代に突入する。
(週刊FLASH2016年8月2日号)