スポーツスポーツ

青木真也の恋愛論「愛情を注ぐことと大事にすることって違うよね」

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.08.09 11:00 最終更新日:2020.08.09 11:00

青木真也の恋愛論「愛情を注ぐことと大事にすることって違うよね」

 

「空気を読まない」ことをひとつのウリとして格闘技界をサバイブしてきた “孤高の格闘家青木真也(37)。そんな彼の著書『距離思考 曖昧な関係で生きる方法』(徳間書店)が話題だ。

 

 同書には、30代半ばで青木がたどり着いたひとつの答え「ファミリー」という概念が頻繁に登場する。青木が言うファミリーとは、日本語訳の「家族」とは異なる。簡単にいえば「仲間」。

 

 

 それもお互いが会いたいときにだけ会い、助けが必要なときは手を差し伸べるという、きわめて曖昧な関係だ。

 

――本書で青木さんは、30代半ばにして「ファミリー」と呼べる存在に出会うまで、ずっと孤独を抱えて生きてきたと書かれています。あえて格闘技業界の方とはツルまないようにしてきたんですか?

 

青木真也(以下・青) 22歳から今まで、格闘技関係者と親密になったことって、ほぼないですね。僕の「人を信用できる、できない基準」は、基本的に「行って来い」なんです。要は何かやっていくなかで、「取って取らせて」ができるんだったら、信用できますね。

 

――どういうことですか?

 

青 僕が何かをギブしたら、必ず返ってくる。その関係性を構築できれば成り立ちますよね。格闘技業界って、わりと業界的にも取っていこうとする人が多い業種なんです。

 

 なので、格闘技関係者で食事に行くとか仲よくするとか、ほぼないです。まあ、僕みたいなタイプは、格闘技業界のなかでも少数派なのは間違いないでしょうけど。

 

――そうなんですね。本書で「格を意識して生きている」とありますが、たしかに今の世の中、そういう精神がちょっと希薄になっています。

 

青 僕は「◯◯さんいるから、ちょっと来る?」みたいな誘われ方をしたとき、「いや、ちょっとまだ口を利けるレベルじゃないかな」みたいなことはよく言います。

 

 同業者でどっちが格上かっていうのは明確にわかるんですよ。それは僕のルール的に言うと、たとえばプロレス会場に行けば、僕より若くてもメインを張るレスラーは僕より格上。だから、しゃべるときはその人が年下だろうが僕は下から入ります。

 

 でも、それが格闘技の会場に来たら、今度は僕のほうが上だから。そういう微妙なルールが僕の中でいくつかあるんです。そうしたことを意識できる人って、やっぱり減ってきましたよね。

 

――なるほど。本には「僕は自分が『無意味』だと思ったことはやれない性分だ」とありましたけど、歳を取ると、これが顕著になると思うんですよ。青木さんは、若いころからそうだったんですか?

 

青 はい。僕はもうすぐに無理だなと思っちゃうというか、「何があんねん? これ」みたいな。基本的に、行って来いみたいなことをずっと考えてる人だから、何かあげたら返って来るよね? みたいな。

 

 人と人って、そうやって関係性を構築するものじゃないですか。損得感情は悪いことだと思ってなくて、すべてのことは行って来いにできるから人間関係が良好に保てると思うんですよ。

 

 損得を考えちゃいけないっていうのは、教育とか思想であって、潤滑にするには基本的には行って来いにしなきゃいけない。だから、どこ行ったって、100円のものは100円でやり取りするし。ただ、損得っていう言い方をすると、みんな一気に怒る。

続きを見る
12

今、あなたにおすすめの記事

スポーツ一覧をもっと見る