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野村監督の「仕事流儀」ラジオに遅刻しても講演を続けた理由
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.08.11 06:00 最終更新日:2020.08.11 06:00
2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。15年間近くマネージャーを務めた小島一貴さんが、野村さんの “仕事流儀” について、知られざるエピソードを明かす。
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監督の仕事に対する強い「プロ意識」により、私自身が窮地に追い込まれたことがあった。その日は、ナイトゲームのラジオ解説の仕事が入っていた。いつもの確認手順を済ませ、あとは球場に先乗りして監督をお待ちするだけ……のはずだった。
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当日の午後1時くらいだっただろうか、沙知代夫人から電話が入った。「ちょっとね、頼みがあんのよ」。いつもと違って、低姿勢。こういうときは、だいたい悪い話だ。
「18時から講演が入ってるんだけど、都内だから、終わってから球場に行かせるわ。講演は30分くらいで終わせるよう、主人には言っておくから」
……ダブルブッキングである。なぜこんなことになるかというと、監督の取材窓口が複数あるからだ。
2006年からマネジメントをするようになった私の会社は、新参者。監督は現役を引退してから9年間、解説者を務めていただけに、沙知代夫人独自のコネクションも少なくなかったのだ。
それまでの長年の付き合いもあり、窓口は一本化できない。私の会社は沙知代夫人にすれば、むしろ「仕事を持ってくるなら、窓口のひとつにしてあげてもいいわよ」という立場だった。
さて、ダブルブッキングを嘆いている時間はない。私はすぐに、ラジオ局の担当者に連絡してお詫びをし、善後策を協議した。私とラジオディレクターが講演会場となるホテルに行き、監督の講演が30分で終わったら、すぐに球場へ向かうという段取りになった。
会場入りした監督は、いつもどおりだった。講演の時間は30分ですよ、と念押しし、監督も「わかった、わかった」と返す。
「30分で終わらせてすぐに球場へ向かえば、それほど大きな遅刻にはならないかな」
ラジオディレクターと私は少し安堵していた。「江本孟紀さんとのダブル解説だから、少しくらい遅れてもなんとかなりますよ」とディレクターが優しく言ってくれた。
講演会場は大きな宴会場で、お客さんは200名くらい。講演が始まると、監督の話もいつもどおりのペースだ。この感じだと、南海に入団したあたりで30分経ってしまうかもと、私は少し焦っていた。
だが30分を過ぎても、45分を過ぎても、監督の話は一向にペースアップしない。やがて1時間--。それまで温和だったディレクターが、さすがに業を煮やした。
「これはまずいですよ! なんとかしてくださいよ!」
監督は時計を見ていないんじゃないか、と誰もが思っていた。仕方なく私が、会場中央付近の監督の目に見えるところに移動し、講演を終わらせるよう身振り手振りでサインを送った。腕時計を指差す仕草を、何度も繰り返す。
まわりのお客さんの目が気になったが仕方ない。監督と目が合ったような気がしたし、30秒くらいサインを送ったから、もう大丈夫かと思って会場から引きあげたのだが、監督は一向にペースアップしない。
ディレクターのイライラは頂点に達し、私がまた会場に入ってサインを送る。こんなことを3度くらい繰り返しただろうか、最後は監督が「お前、うるさい!」と、壇上からマイクを通して私を一喝したのだ。そう。監督は最初から、30分で終わらせる気などなかったのだ。確信犯だった。
監督の講演時間は、通常90分と設定されているが、オーバーすることが多い。この日も、しっかり100分間ほど話を続けた。球場へ行く車の中で、「一流解説者の江本にまかせておけばいいんだよ」などとボヤく。解説ブースの席についたのは、なんと終盤の8回途中だった。
後日、思いきって監督に聞いてみた。なぜあのとき、講演を終わらせていただけなかったのですか? と。すると、「30分なんかじゃ終わらせられないよ」と言ってこう続けた。
「みんな楽しみに来てくれてるんだから。俺なんかの話を」