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キューティー鈴木、母は控室で対戦相手に「娘を蹴らないで!」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.08.23 06:00 最終更新日:2020.08.23 06:00
「アイドルレスラー」だった。1986年にデビューするや、その愛くるしい顔が苦悶にゆがむ戦いぶりで人気になった、キューティー鈴木(50)。歌手デビューもし、これまでに発表した写真集はなんと14冊。現役時代は、休む暇が本当になかったという。
この日は、プロレスの聖地・後楽園ホール前で撮影した。
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「懐かしいですね。デビュー直後は、あまり地方遠征もなく、ここでずっと試合していました。忙しかったころは、ほとんど毎日試合があり、それに加えてグラビアや写真集の仕事。でも楽しかったですよ。
撮影で尾崎魔弓とパラオに行ったときは、ダイビングをしたり、アントニオ猪木さんの島でバーベキューをしたり。海外の撮影でスケジュールが3日しかなくても、遊ぶ時間をなんとか作ってました」
子供のころから、ビューティ・ペアやクラッシュギャルズに憧れた。
「中学生のとき、全日本女子プロレスのオーディションに落ちたんですが、その後、ジャパン女子プロレスに合格しました。両親には、『高校だけは卒業してくれ』って言われましたが、私にしたらもう『いま合格したんだから、いまレスラーにならないと』という一心。
出身が埼玉なので、後楽園ホールで試合するときには、両親が毎回観に来てくれました。最初のうちは、私が『観に来てね』って言ってチケットを渡していましたが、だんだん、『次はいつなの』って聞かれるようになって。誘わなくても、楽しそうに観に来てくれるようになりました。
デビューの1~2年後ですかね、親も応援してくれてるのかなって思ったのは。母は試合のあと控室に来て、ダイナマイト関西に、『あんまり娘を蹴るのはやめてね』って頼んでいましたよ(笑)」
1998年、20代最後の年に引退し、35歳で結婚。現在は、2児の母だ。
「旦那とは、はじめ友達に紹介されて、その1年後くらいにばったり会って、つき合うようになりました。旦那は、とにかく趣味の人なんです。夏になれば海、冬はスキー。でも息子たちを連れて行ってくれるので、いいパパです。
息子は上が中2、下が小3。2人ともサッカーに夢中です。いまはコロナで試合がありませんが、親も応援に行くので、平日よりも土日のほうが大変です。
尾崎や関西とは、いまでも連絡を取り合っています。尾崎はまだ現役だし、子育てが落ち着いたら、もっと試合を観に行きたいですね。私にもう一度リングに上がらないかというオファーですか? ないですないです。あっても尾崎が止めますよ!」
きゅーてぃーすずき
1969年10月22日生まれ 埼玉県出身 1986年、ジャパン女子プロレス旗揚げ時のオーディションに合格。リングネームを名づけたのは秋元康氏。同年9月19日、対プラム麻里子戦でデビュー。ジャパン女子解散後、JWPの旗揚げに参加。グラビアや映画、テレビ出演などの活動も活発に展開。プロレスファン以外にも人気に。団体対抗戦でも活躍した。1998年引退
(週刊FLASH 2020年8月18・25日号)