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松中信彦×川崎宗則、SBホークスで見た王監督の「若手操縦術」

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.09.12 06:00 最終更新日:2020.09.12 06:00

松中信彦×川崎宗則、SBホークスで見た王監督の「若手操縦術」

 

 1980年代は一度もAクラスなし。1990年代に入ってもBクラスが定位置。今でこそ常勝チームとして知られる福岡ソフトバンクホークスも、かつては弱小球団と揶揄されていた。

 

 そんなホークスの転機となったのは、1995年の王貞治監督(80・現取締役会長)の就任だった。そして、王監督率いるチームを主力として支えたのが、2004年に平成唯一の三冠王に輝いた松中信彦(46)であり、2012年から5シーズンにわたり、米メジャーリーグでプレーした川崎宗則(39)である。

 

 

 強者に伝わる “王イズム” の伝統とはなんなのかーー。ともに九州出身の「鷹OB」2人に語ってもらった。

 

松中「僕が入った1997年ごろはまだ弱くて、試合に負けても『今日はしょうがないね』と、簡単に負けを受けいれているようなところがありました。ただ、王会長(当時は監督)の勝利への執念は相当なものがありましたから、負ければ試合後は必ずミーティング。

 

 そんななか、小久保(裕紀)さんや自分、井口(資仁)や城島(健司)など、少しずつ会長の野球を理解する選手が出てきて、徐々に試合に勝てるようになっていきました。いい結果が出ると、個々に自己犠牲の精神も生まれ、チームはさらによくなる。

 

 そういった伝統を、宗(川崎宗則)だったり松田(宣浩)だったり、後輩が引き継いでくれたことが、いまの好結果に繋がっていると思います」

 

川崎「僕が入った2000年には、松中さんは小久保さんとともに、チームの “飛車角” の存在でした。松中さんからは毎回、『練習から声を出せ』と言われて、一から鍛えてもらいました。

 

 2003年の優勝時は、松中さんは脂が乗りまくっていて、クリーンアップには井口さん、城島さんもいた。僕と村松(有人)さんの1、2番は、とにかく塁に出て走るだけでしたが、ホークス史上最強だったんじゃないかと思っています」

 

 1998年以降、ホークスは現在までBクラスを経験したのは2度のみと、毎年のようにパ・リーグで優勝争いを演じてきた。その強さの裏には、どの球団よりも多い練習量があるという。

 

川崎「他球団の選手から、よく『なんで、うちは勝てないんだ!』ということを聞きますが、それはホークスがいちばん練習しているからだと、声を大にして言いたい。ホークスは本当に、ベテランが率先して練習しています。

 

 僕が若かったころのキャンプでも、先輩が帰らないから、『頼むから早く帰ってくれ』と思いながら、いつまでも練習せざるを得ないという状況が何度もありました(苦笑)」

 

松中「小久保さんの練習量は、すごかった。小久保さんを超えたいと思っていた僕は、いつも小久保さんが帰るまで練習していた。そうすると、自然に体力がついてくるんです。当時、レギュラー陣が練習しているあいだは、若手は誰も帰りませんでしたからね」

 

川崎「それでホテルに戻ったら、夜は『宗、行くぞ』と飲みに連れ出される。でも、こっちは飲みすぎたと思っても、先輩たちは翌朝、普通に練習していました。内臓の鍛え方もハンパなかった(笑)」

 

松中「それは、若いころの話(笑)。でも、いまのホークスを見ても、練習でいちばん走っているのは、ベテラン投手の和田毅ですからね」

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