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松井秀喜「思い出の店」を10月末に閉店…“東京の父”が明かす爆笑秘話

スポーツ 投稿日:2020.10.18 20:00FLASH編集部

松井秀喜「思い出の店」を10月末に閉店…“東京の父”が明かす爆笑秘話

「もー吉」店主の安部さん。店内には、松井氏の思い出の品が展示されている

 

 飯田橋駅から、柳がそよぐ神楽小路に入ると、可愛い牛の看板を掲げた居酒屋がある。神楽坂の名店『もー吉』は、1993年に開店。山形県白鷹町出身の安部俊彦さん(67)が経営する、山形料理のお店だ。

 

 同店は、松井秀喜氏(46)行きつけの店として有名だったが、コロナ禍で10月31日での閉店が、惜しまれながら決まった。店主の安部さんが、松井氏との思い出を語る。

 

 

「松井くんがウチに来たきっかけはね、1997年かな、松井くんが22歳のころ。当時の巨人軍の広報の方から、『松井が寮を出ることになったので、(東京)ドームの試合後の食事の世話をお願いできないか』と話が来たんです。

 

 松井くんは、試合が22時ちょっと前に終わると、シャワー浴びたり素振りしたりで、ドームを出るのが23時過ぎ。うちの営業は23時半までなんだけど、松井くんだけは時間外でもOKしてました(笑)」

 

 ちなみに、夕食の値段は1食5500円だったという。

 

「背番号と一緒(笑)。若いころは量もけっこう食べてたし、できるだけバランスよく出してましたね。好き嫌いはない。でも、美味い・不味いも言わない(笑)。

 

 東京ドームだと3連戦だから、3日連続で来るんでね。メニューが前の日とダブらないように、気は遣いました。お刺身や酢の物は、必ず用意してましたね。車を運転して来るので、お酒は飲みませんでした」

 

 ときには、仲のいい選手たちと来ることもあったという。

 

「一緒に来てたのは、(高橋)由伸くんとか、上原(浩治)くん、三澤(興一)くん、あとは村田の善ちゃん(村田善則)。

 

 仁志(敏久)くんと由伸くんとは、一緒にゴルフに行ったり。急に松井くんが電話してきて、『マスター、ゴルフ行きたいからセッティングしてよ』なんて。自分で連絡すりゃあ、どこだって取れると思うんだけどさ(笑)」

 

 原辰徳監督との思い出話も、松井氏から聞いたという。

 

「原さんが現役のころ、ステーキハウスだかを経営してたらしく、『選手みんなで行くぞ』って呼ばれて、てっきり原さんのご馳走だと思ったら『はい、みんな1万円ずつ』とかって、お金取られたっていう(笑)」

 

 若手のころの松井氏は、あまり “夜の街” で騒ぐというタイプではなかった。そこには、「長嶋茂雄氏との関係がある」と、安部さんは語る。

 

「松井くんが若手のころ、夜になると長嶋監督から電話がかかってきて、電話の前で素振りをさせられていたんだよ。だから、落ち着いて選手同士で飲んだりっていうのは、できなかったんだろうね。いつ、かかってくるかわかんないんだし。

 

『電話越しなんかで、スイングがわかるの?』って聞いたら、長嶋さんは素振りの音を聞いてるみたいで、受話器の向こうから『違う! 違う!』ってミスターの声が聞こえるんだって(笑)」

 

 当時の巨人は、“四番打者コレクター” と揶揄されるほど、強打者をFA(フリーエージェント)でかき集めていた。落合博満、清原和博、広澤克実、石井浩郎、江藤智、ペタジーニ……。そのなかで、松井氏と巨人の4番を争った、落合氏とのエピソードがある。

 

「長嶋さんが落合さんに、『松井を見てやってくれ』って頼んだらしくて、何度か自宅まで行って、素振りを見てもらったそうです。松井くんは『いやー、野球以外に尊敬するところはなんにもありません』って言ってたけど(笑)。

 

 そういえば、『自分は子供は大好きなんだけど、落合さんの息子さんは無理でした』って(爆笑)。カブト虫を採りにハイヤーで行くってんだからね、落合家はすごいな」

 

 同じく4番打者のライバル、清原のことは、どう見ていたのか。

 

「清原くんはすごいって言ってましたよ。『マスターは野球やってないからわかんないかもしれないけど、外角低めを反対方向にホームランできるのは、才能でしかない。自分の何倍も才能ありますよ。ただ僕の年には、もう遊んでたでしょ』って注釈つきでしたけどね(笑)。

 

 清原くんは、お店にも来てくれたことあるんですよ。ウチの店で、清原くんと巨人の広報の人たちが飲んでたときに、松井くんから『これから両親を連れて行きたいんですけど』って電話が来てさ。

 

『これから松井くんが来るっていうんだけど』って聞いたら、清原くんが『松井の分も払うから』って、100万円ぐらい入ってた財布から、万札を20枚数えて『はい』ってくれて(笑)。

 

 さすがに全部はもらわなかったけど、気っ風がいいというか、豪快だったね。あんだけカネ払いがよかったら、そりゃ夜の世界でもモテるわけだよ」

 

 松井氏がニューヨークに渡ってからも、安部さんは仲間たちと応援ツアーで毎年観戦に行ったりと、交流が続いた。

 

「2003年のリーグ優勝決定シリーズ、ヤンキース対レッドソックス第7戦。松井くんが同点のホームインをしたあとに飛び上がって喜んだ姿は、見ていて涙が出てきたね。

 

『あれ、3塁回るとき転びそうになったんじゃない?』って聞いたら、『マスターわかってたの? 転んだらシャレにならないからさ』だって(笑)。

 

 日本では、表情に出さないで淡々とプレイしてたじゃない。でも、アメリカに行って、少年のころを思い出したかのように楽しそうにやってるのが伝わってきて、嬉しくてしょうがなかったね」

 

 思い出話が尽きない安部さん。次回は、松井氏のプライベートに迫る。

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