スポーツ
松井秀喜が愛した「もー吉」閉店…店主が“お宝野球グッズ”を公認オークション中
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.10.25 20:00 最終更新日:2020.10.25 20:00
松井秀喜氏が現役時代から長年通い続けた、東京・神楽坂の名店『もー吉』。店主の安部俊彦さん(67)は、松井氏の “お守り隊” を自認する、深い付き合いを続けてきた。コロナ禍で10月末で閉店してしまう同店には、貴重な “松井グッズ” が、ずらりと展示されている。
安部さんが、松井氏の知られざるプライベートを語ってくれた。松井氏は大スターゆえに、マスコミに追い回されることが日常茶飯事だった。
【関連記事:松井秀喜「思い出の店」を10月末に閉店…“東京の父”が明かす爆笑秘話】
「あれは、日米野球が終わったころだったな。ある週刊誌が、『松井選手が「もー吉」で彼女と待ち合わせする』という情報を掴んで、店の前で張り込んでいたんだよ。すぐに松井くんに電話して、『今日は来ないほうがいい。彼女は私が松井くんの家まで連れて行くから』と伝えました。
それで、彼女と私と、ダミーでもうひとり友人を呼んでタクシーに乗って、真っ直ぐ向かうとバレちゃうから、都内をぐるっと1時間半くらいかけて、松井くんの自宅まで女性を連れて行ったことがあったね」
松井氏は、かなりモテたという。
「相手が芸能人だと、さすがにウチの店には連れて来なかった。店が駅前にあるから、バレバレじゃない。だから、昔から付き合いのある料亭に私が頼んで、芸能人とはそっちで会うことにしてた。
世間の人は、松井くんのことを聖人君子みたいに思ってるけど、人並みにスケベだし、女性に対しては優柔不断(笑)。試合でエラーしたときなんか、『あのときは変なことを考えてて、おちんちん大きくなっちゃった』なんて言ってたりさ(爆笑)、そういうことを平気で言うんだから。
芸能人の彼女? 3人とお付き合いしてたかな。名前は内緒だよ(笑)」
安部さんは当時、球界最高年俸だった松井氏の、お金にまつわるエピソードも明かしてくれた。
「金銭感覚は、意外に庶民的だったよ。私は松井くんの年俸1億円のときから、6億1000万円になったときまで付き合ってるんですよ。
年俸6億円のときは給料明細も見せてもらったけど、そのころ私が競馬で20万円儲かった話をしたら、『すごいねえ~!』なんて驚くんだよ(笑)。お前、どんだけ稼いでんだよって話だよ。ひと晩でパーっと使うとか、そういうことはなかったね」
一方で長嶋茂雄氏に影響を受けて、時計には、こだわりがあったという。
「長嶋さんに高い時計をもらって、それでいいものだって覚えたみたい。300万円くらいのから、十数個は持ってたね。
そういえば、松井くんがニューヨークに行くときに引っ越しの準備を手伝ったんだけど、男性用化粧品がものすごい数あったのを覚えてる。高校時代は、ニキビ顔だったからね。だいぶ綺麗になったのは、ちゃんとケアしていたんだろうね。
片付けついでに『これ、もらってっていいよね?』って、野球グッズをじゃんじゃんもらってきたんだよ」
店内に飾ってある松井氏の野球グッズは、そうやって本人からプレゼントされたものばかりだ。その価値たるや、相当な額になる。
「2000年に42本打って、ホームラン王を獲得したときのバットをもらったんだ。『ホームラン王を獲るのに、最後まで使ったバットだよ。マスターにあげる』って言ってくれてね。ふだんは折れたバットは、お箸を作る活動をしている団体に提供していたから、松井くんのバットは、あんまり世に出回ってないんだ。
『なんでも鑑定団』(テレビ東京系)に出演したとき、スパイクとかグラブとか、『TOKYO』のロゴが入ったユニホームを出品したら、全部合わせて350万円の値がついた。ちなみに、『バットを出してくれたら、プラス150万円』って言われたよ」
閉店後、これらのお宝はどうなってしまうだろうか。
「コレクションは、お金にします! コロナでお金に困って店を閉めるんだからね。松井くんに店を閉めることを連絡したら、『寂しくなるね。で、いくら足んないの?』って言われたよ。
お宝は、“お守り隊” の仲間や、一緒にアメリカに応援に行った仲間たちに買ってもらってる。ただ、まだ全部売れたわけじゃないよ。もっと高い値段をつけるって人がいれば、全然そっちに売るよ(笑)。思い出だけじゃあ、食っていけないからなあ。この記事を見て高く買いたいって人がいれば、連絡くださいよ!(笑)」
貴重な “松井グッズ” の数々は売ることになるが、日本が生んだ世界的大スターとの出会いこそが、安部さんにとって、かけがえのない本当の “お宝” なのだろう。
「値段がどうのこうのより、あのニューヨークの綺羅星の如き大スターの中で4番を打った松井くんを応援できたのは、ありえないような時間だった。泣いちゃったもんな」