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野村監督の意外な口癖「講演は苦手」40年守り続けた師の教え
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.08 06:00 最終更新日:2020.11.08 06:00
2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。15年間近くマネージャーを務め、野村さんを人生の師とあがめる小島一貴さんが、野村さんの ”仕事の流儀” について、知られざるエピソードを明かす。
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野村監督は都内の高級住宅街に、いわゆる “豪邸” を建てた。ただ本人に言わせると、これは野球の稼ぎで建てたのではないという。「講演料で建てたんだよ」と、笑っていた。
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現役引退後の9年間は1980年代。バブル景気の影響もあり、世間は講演ブーム。ダブルヘッダーは当たり前で、トリプルヘッダーもあったという。監督は「国内のたいていの街に、講演で行ったことがある」と言っていた。
楽天の監督を退任したあとでも、講演の依頼は少なくなかった。講演料は、けっして安くない金額に設定されていたにもかかわらず、月に1本くらいのペースだ。
これだけ数をこなしていれば、さぞかし講演には慣れているだろうと思っていた。実際、話の内容は何度聞いてもおもしろいし、間合いや流れも絶妙である。まさしく、“講演の名手” だった。
ところが、意外にも監督は「講演は苦手や」が口癖だった。その理由について、こう説明してくれた。
「野球の試合は、必ず結果が出るじゃない。勝ったか負けたかハッキリしている。でも、講演には、それがないんだよ。お客さんの反応を見ていてもイマイチよくわからない。
終わったあとは、みんな『よかったですよ~』と言ってくれるけど、そんなもん、そう言うに決まっている(笑)。自分の仕事がよかったのか悪かったのかわからないのが、なんとも後味が悪い」
そう言われても、「講演は苦手だ」というのが本心なのか、私は疑っていた。というのも、講演の事前準備の際は、以下の内容を主催者側に確認することが、欠かせなかったからだ。
「講演時間は90分でお願いしたいのですが、それでも話が終わらないことがほとんどです。だいたい20分くらいは延長になることが多いですが、大丈夫でしょうか」
するとたいてい、このように聞かれる。
「どうしても終わっていいただきたいときは、どうしたらよいですか?」
私の答えは決まっていた。
「司会の方から優しく、『監督?』と話しかけてみてください。そして『会場の都合もありますので……』と続けていただければ、監督も切り上げてくれます」
そう、監督はいつも90分では話し足りないのだ。そのような人が、どうして講演に苦手意識があるというのだろうか。
そんな折、とある地方での講演で、珍しい光景を見ることになった。段取りの打合せも終わり、控え室で監督と私で2人きりになると、監督が上着の内ポケットからおもむろに1枚の紙を取り出した。よく見ると、手書きのメモがびっしりだった。
A4サイズほどのその紙は、広げた状態ではひどく乱雑なメモに見えた。しかしコンパクトに折りたたまれると、どの面からでもメモが読めるようになっていた。
私はデリカシーを欠いて、思わず監督に話しかけてしまった。
「監督、びっしり書いてありますね」
監督はメモから目をそらさずに、こう答えた。
「これがあると落ち着くんだよ。講演中もポケットに入れておくだけで落ち着く」
監督は、いつも落ち着いて見える。緊張で声が上ずったりするところも見たことがない。これだけのキャリアがあるから、緊張など無縁だと思っていた。この時点でおそらく、何千回と講演をこなしている。それでも、「緊張する」というのだ。
この日以来、監督が講演前にメモを確認している姿を何度か見た。そういうときは、できるだけ離れて静かにするように心がけた。「講演は苦手や」は、本音だったのだ。