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野村監督の意外な口癖「講演は苦手」40年守り続けた師の教え

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.08 06:00 最終更新日:2020.11.08 06:00

●「付け焼き刃はボロが出る」草柳大蔵氏の言葉を講演でも取材でも…

 

 そんな監督の初講演は、さんざんだったようで……。60分間ということで依頼を受けていたものの、準備していた話を終えるとまだ30分しか経ってない。仕方なく、「こんな私に質問があれば、お答えします」と言って、質疑応答を長めに取った。

 

 じつは初講演を前に、師と仰ぐ作家の草柳大蔵氏に相談したのという。「私なんかでも講演なんてできるんでしょうか。何を話せばいいのやら…」と悩む監督に対して草柳氏は、こうアドバイスをおくった。

 

「野村さんには、テスト生から這い上がって、監督まで務めたという素晴らしい経験がある。その経験を話せばいいのです。聞く人は、野球の話を自分に置き換えて聞いてくれます。

 

 ただし、野球以外のことは話しちゃいけません。誰が聞いているかわからない。付け焼刃の知識はボロが出ます」

 

 実際、監督の講演を聞いていると、自身の少年時代の話と沙知代夫人の話を除けば、すべて野球の話だった。1980年代初頭に聞いたアドバイスを、約40年も守り続けていたのだ。

 

 ちなみにその姿勢は講演にだけではなく、取材全般にも貫かれていた。監督のインタビューで、野球以外の話が公開されたことはほとんどないと思う。

 

 監督は講演の依頼が入ると、必ずふたつのことを確認していた。ひとつは講演のタイトル。主催者がどのようなことを話してほしいと思っているのか、タイトルにそれが表われるという。もうひとつは、客層である。どのような人を対象にした話をすべきなのかを意識していた。

 

 監督の人気は、特に地方では絶大だった。講演後に車に乗る際に、多くの人々が集まり、口々に「来てくれてありがとうございます」「いつまでもお元気で」などと声をかけてくれるのは感動的ですらあった。帰路に向かう車を追いかけてくる人がいたことも少なくない。

 

 そのような様子を見ていると、できるだけ地方での講演をしてもらいたいという気にもなるが、70代後半からは心身の負担も考慮し、新幹線や特急列車で行けない地域には足を運ばなくなった。さらに、2015年に長期入院してからは、首都圏以外でのお仕事は、基本的にお断わりするようになった。

 

 入院の日程が決まると、それ以降の仕事はキャンセルさせていただいたのだが、偶然にも入院前最後の講演は、監督の母校である峰山高校(京都)での講演だった。

 

 京都までは新幹線で行き、特急列車に乗り換える片道4時間以上の旅になったが、電車移動は苦にされず、講演も絶好調だった。監督は10代への講演は苦手なのだが、「母校の大先輩」の話を聴く在校生の姿勢がとても立派だったからかもしれない。監督も、孫よりも若い後輩たちの態度を、しきりに褒めて帰路についた。

 

 行きはもちろん、帰りの電車の中でも、監督はずっと喋っていた。もうすぐ入院する人にはとても見えなかった。私が監督と一緒に地方へ同行したのは、これが最後だった。

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