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翔猿、新入幕で優勝を争った“小兵力士の星”は「保育士になりたかった」

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.12 06:00 最終更新日:2020.11.12 06:00

翔猿、新入幕で優勝を争った“小兵力士の星”は「保育士になりたかった」

 

 四股名がこれほど、ぴたりとハマる力士も珍しい。土俵のうえを跳んだり跳ねたり、俊敏な動きで相手を翻弄する小兵。その名も「翔猿(とびざる)」――。

 

「『猿』は、自分で四股名に入れたいと思って、師匠に伝えました。それでつけてくれたのが、この四股名です。すごく気に入ってますよ」

 

 新入幕だった九月場所。前頭十四枚目ながら、千秋楽まで優勝争いを演じた。106年ぶりの新入幕優勝こそ逃したものの、終わってみれば11勝4敗で、敢闘賞を受賞した。

 

 

「十両で(相撲を)取っているときは、『ここで負けるとまずい』と、ばっかり考えて土俵に上がっていたんです。先場所は幕内に上がって、『守る相撲』から『攻めの相撲』になった感じですね。

 

 優勝のプレッシャー? まったく、なかったです。毎日、ワクワクしながら土俵に上がってました。プロの世界に入って、九月場所がいちばん楽しかったです」

 

 28歳での新入幕は、けっして早いほうではないが、入門当初から期待された存在だった。プロ力士を何人も輩出している埼玉栄高校から日大相撲部と、エリートコースを歩んできた。高校3年時には、全日本ジュニア体重別で優勝、大学では3年時からレギュラーとして活躍。

 

 初土俵は、2015年一月場所。2年あまりで十両に昇進したが、なかなか幕内には手が届かなかった。

 

「自分で言うのもアレなんですけど、一応『エリートコース』ってやつじゃないですか。そこそこ自信はあったんですよ。でも、アマチュアとプロじゃ全然違った。入門して1週間もしないうちに、やめようかと思いましたから(笑)。

 

 関取になって、十両から幕内に上がるのに2年以上かかりましたけど、怪我が多かったんですよ。基礎運動をしっかりやるようになってから、怪我をしないようになったんです」

 

 十両の英乃海(木瀬部屋)は、3歳上の実兄だ。

 

「兄貴が相撲道場に行ってたんで、自分も行くようになったんですけど、嫌でしたね。自分はガリガリで、まわりはみんな大きいし。

 

 運動は好きで、野球もサッカーも水泳もやってました。本当はプロ野球選手になりたかったんですが、中学から相撲一本に。(相撲を)やめたいって言える雰囲気じゃなかったんですよ。

 

 高校のときも、本当は保育士になるつもりだったんです。子供が大好きなんで。だから、そういう学校に行こうと思ったんですけど、言い出せる雰囲気じゃなかった。

 

 中学から高校、大学まで、ずっと兄貴と同じなんですよ。だから、『お前も当然(兄と同じ道を)行くんだろう』みたいな流れになっちゃうんです」

 

 兄弟力士は同じ部屋に入門することが多いが、弟はあえて、それを避けた。

 

「同じ部屋に入ると、甘えが出てしまうと思ったんです。追手風部屋には、1歳上で幼馴染みの剣翔関と、大学の1年先輩の大翔丸関がいたことが大きいですね。

 

 部屋には関取も多い(大栄翔、遠藤ら6人)し、いろんなタイプの力士がいる。コロナで出稽古ができなくても、問題はなかったです。それに、外に遊びに行けなかったのが、逆にプラスになったと思うんです」

 

 趣味は写真撮影だが、外出もままならず、今は我慢。その代わり、ネットを使って英会話を勉強しているという。

 

「力士って、外国人から声をかけられることが多いんですよ。そんなときに、ちゃんと話せたらいいなと思って」

 

 十一月場所は、前頭四枚目まで番付を上げた。

 

「高校で同期の北勝富士や、学年が同じ御嶽海と対戦するのが楽しみですね」

 

 入門時からの目標である三役に、手が届くところまできた。イケメン力士として、人気も急上昇中だ。

 

「イケメンですか? それよりも “強い力士” って呼ばれたいです」


翔猿正也/とびざるまさや(本名・岩崎正也/いわさきまさや)
1992年4月24日生まれ 東京都江戸川区出身 175cm131kg 前頭四枚目。追手風部屋。平成4年生まれの「花のヨン組」のひとり

 

コーディネート・金本光弘

 

(週刊FLASH 2020年11月24日号)

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