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野村監督が嫌った「飛行機移動」航空会社が指定になったのは…

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.15 06:00 最終更新日:2020.11.15 06:00

野村監督が嫌った「飛行機移動」航空会社が指定になったのは…

 

 2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。15年間近くマネージャーを務め、野村さんを人生の師とあがめる小島一貴さんが、野村さんの知られざるエピソードを明かす。

 

 

 野村監督は、鉄道での移動は苦にならないようだったが、飛行機が苦手だった。新幹線で行くには遠い場所、すなわち九州や四国、北海道での仕事の場合だけ、イヤイヤ飛行機に乗っていた。

 

 

 青森には片道4時間かけて、新幹線で行った。監督が70代半ばのころは、まだ地方での仕事も受けていたので、マネージャーの私は、飛行機でお供することも少なくなかった。

 

 長距離の移動になると、監督は決まって、「時間より距離だってな。体に負担がかかるのは」と言っていた。根拠はよくわからないが、飛行機は乗っている時間が短いものの、移動距離が長いので、体に負担がかかると感じていたようだ。

 

 飛行機での移動の場合、空港に到着すると、しばらく時間がある。監督はファーストクラス、便に設定がなければビジネスクラスに乗っていたので、空港内のラウンジなども利用できたのだが、私が同行した限りでは一度も入ったことがない。歩く距離が長くなるのを嫌い、搭乗ゲートの近くの一般の待合席で、いつも時間を過ごしていた。

 

 搭乗する際も優先搭乗が可能なのだが、「早く乗っても変わらないから」と、誰よりも最後に乗りたがった。飛行機の中で過ごす時間をできるだけ短くしたかったのだろう。

 

 ところで、羽田空港は地方の空港に比べると、かなり広い。航空会社によっては、飛行機を降りてから外に出るまで、ものすごい距離を歩かなければならないことがある。監督は経験上、歩く距離が比較的短くて済む「A航空」を好んでいた。

 

 ところが、ある講演の仕事でのこと。飛行機のチケットを業者側で手配したいという要望があり、「B航空」を利用することになってしまった。移動当日になってそのことを監督にお伝えすると、「大丈夫かな」と表情が曇った。

 

 幸いにして、往路はたまたま、羽田空港で歩く距離がさほど長くなかった。仕事を終えて帰路に就くころには、「B航空」であることは、ほとんど気にしていなかった。飛行機に乗り込み、監督の席を確認して「では、私は後方におります」と、いつものやり取りを交わした。

 

 ところが、である。羽田空港に到着すると、やはり出口が遠かった。監督は先に降りているはずなので、「急いで追いかければ、どこかで追いつくだろう」と思っていた。しかし監督の姿が見当たらない。監督に会えないまま出口まで辿り着いてしまった。

 

 途中のトイレに入ったのかもしれない、と思ったが、トイレをひとつひとつ探していたら行き違いになる恐れがある。仕方なくその場で、監督の到着を待つほかなかった。

 

 私には30〜40分にも感じられたが、実際には5分後くらいだっただろうか、監督がようやく姿を見せた。長い距離を歩いてきたため、息が上がっている。思わず「大丈夫ですか」と駆け寄った。

 

 監督はハーハー息をしながら、「だから言っただろ!」と言うのがやっとだった。このとき以来、移動手段が飛行機の場合は必ず「A航空」を指定したのは、言うまでもない。

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