●大学に進学していれば “栄養費” をもらえたのに……
一方で、逆指名の “恩恵” を受け損なったドラ1もいる。1998年に、横浜ベイスターズから1位指名(松坂大輔の外れ1位)を受けた古木克明氏(40・横浜→オリックス)だ。じつは古木氏は、ダイエーホークスに入団する予定だったという。
「高校生(愛知・豊田大谷高)のころから、ダイエーのスカウトが来てくれていました。高校2年時には、ドラフトで上位指名したいと打診があり、自分はダイエー以外は行かないつもりでした。
だけどこの年、たまたま九州の高校生でほかにも活躍した選手が多くて、『地元優先だから申し訳ないけど、4位で獲るから』と。それでもドラ1と同じ評価で、契約金1億円と年俸800万円で話がついていました。
そこにあとから横浜からも話が来て、『松坂(大輔)を外したら1位でいくから』と言われ、実際にそうなりました」
古木氏の場合、高校生だったので逆指名扱いではなく、裏金もなかったという。
「契約金9000万円を提示されて、実際は8800万円でした。でも年俸は、800万円提示で880万円。120万円をケチられた感じですね(笑)。ダイエーとのあいだで決まっていた条件を伝えたので、多少上げざるを得なかったんだと思います。それがなければ、もっと安かったんじゃないかな」
高卒で入団した古木氏は、大学から遅れて入団してきた同年代の選手たちの契約金の額が気になったという。
「僕も、大学経由でダイエーを逆指名してプロ入りする選択肢もあったんです。ミールマネー(栄養費)の話もありました。結局、高卒で横浜に行きましたが、那須野とかの話を聞くと、『大学に行って逆指名すればよかったな』と。
村田(修一)も、年俸1500万円で入団しましたが、実際は2000万円ぐらいもらっていたんじゃないかな。僕はけっこう活躍しても、最高到達年俸は2800万円でしたから、『なんで、まだ何もやってない新人が、そんなにもらってんだよ』と思ってました(笑)。
横浜にドラ1で入ったからって、特別なことなんか何もなかったですよ。給料も上がらなかったし(笑)。選手や裏方さんは、いい人ばかりでしたが、フロントには不信感しかない。ただでさえ、小学校の卒業文集で『絶対に行きたくない球団はロッテと大洋』って書いてたのに(笑)」
現在もドラフトでは、裏金が飛び交っているのだろうか。
「さすがに逆指名制度のころみたいなことは、もうないんじゃないですか」(那須野氏)
コンプライアンス遵守が叫ばれる昨今、球界の意識改革も進んできたという。“東大に入るより難しい” といわれる、2020年のエリート12人は、己の実力だけで開幕一軍を勝ち獲れるか。
愛甲猛(あいこうたけし)1980年・ロッテ1位
横浜高で、1980年の夏の甲子園優勝。投手として入団し、1年めから8試合に登板するも、3年間で勝利はなし。1984年に打者へと転向
橋本清(はしもときよし)1987年・巨人1位
PL学園で立浪和義らと、1987年の甲子園春夏連覇。入団1年めにジュニアオールスターに選ばれたが、一軍定着に6年かかった
古木克明(ふるきかつあき)1998年・横浜1位
1年めにフレッシュオールスターでMVP獲得。4年めから一軍に定着し、翌年22本塁打を放つ。引退後、格闘家に転身して話題に
那須野巧(なすのたくみ)2004年・横浜1位
192cmの長身を生かし、日大時代に才能が開花。大学No.1左腕の評価で、即戦力と期待されながらも、プロ1年めはわずか1勝に終わった
一場靖弘(いちばやすひろ)2004年・楽天1位
新人ながら一軍で先発ローテ入りを果たすが、1年めは2勝9敗1S。翌年は開幕投手を務めるも、プロ生活8年間で通算16勝だった
(週刊FLASH 2020年12月1日号)