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高砂親方「朝青龍のメールは読まずに消すよ!」定年記念に語り尽くす相撲人生

スポーツ 投稿日:2020.12.13 06:00FLASH編集部

高砂親方「朝青龍のメールは読まずに消すよ!」定年記念に語り尽くす相撲人生

1986年に結婚し、35年たった今も新婚のように仲がいい高砂親方と妻・恵さん。親方は、部屋を継承させた今も、稽古場で指導を続ける

 

 12月9日に65歳の誕生日を迎える、先代・高砂親方(元大関・朝潮)。日本相撲協会の定年となり、高砂部屋は元関脇・朝赤龍が継承することになった。学生相撲から鳴り物入りで入門して「大ちゃん」ブームを巻き起こした現役時代から、現在までを振り返ってもらった。

 

 

「近畿大を卒業後、22歳で入門して、もう40年以上。あっという間だったね。高砂部屋を選んだのは、年上の人が少なかったから。当時はまだ、学生相撲出身というと、反感を買うことが多かったんですよ。『なにが大学出だ!』なんて、もし年上の人が多い部屋に入っていたら、相当やっかまれてたと思うよ」

 

 プロ入りしたときからの目標が、「打倒・北の湖」だった。

 

「ほかにも横綱はいたけど、やっぱり “王者” は北の湖さん。『とにかくあの人を倒したい、勝たないと俺の名は売れないんだ』と、そういう気持ちでぶつかっていったんです」

 

「憎らしいほど強い」とまで言われた大横綱・北の湖戦は、通算で13勝7敗。朝潮に苦しめられた横綱は、北の湖だけではない。対戦した横綱9人すべてから勝ち星を挙げ、「対横綱戦通算40勝」という、途方もない記録を残しているのだ。

 

「輪島さんは、また違う存在で、学生相撲出身力士にとっては憧れでした。自分よりかなり年上だったけど、ずいぶんかわいがってもらったものです。

 

 五木ひろしさんを紹介してもらったし、そのほかにも大きな会社の社長さんとか、何人も紹介してもらった。この世界、そういう人脈は、ものすごく大事なんですよ」

 

 千代の富士は年が一緒で、一門も同じだった。

 

「最初は俺のほうが番付が上だったけど、あっという間に追い抜かれた(笑)。あいつとは優勝決定戦を2回やって、2回とも負けてるんだ。『2回のうち1回でもお前が勝ってれば、お前も横綱になってたよ』って、あいつに言われた。そのへんの勝負強さがね、千代の富士にはあったよね」

 

 大関昇進は、入門から5年後の1983年。それから36場所、丸6年間、大関の地位を守り通した。

 

「現役生活は11年間。半分以上、大関を務めたわけだから、まあ『力士としてはよし』といっていいでしょう。自分は大関から落ちてまで、相撲を取るつもりはまったくなかった。

 

 1989年の大阪で引退したけど、カド番で辞めたわけじゃない。大阪だからですよ。出身大学があって、デビューの場所も、大関昇進を決めたのも、唯一優勝できたのも大阪。だから大阪は自分にとって特別な場所だった。

 

 その大阪で1年後、また大関として土俵に立っていられるか——その自信がなかった。だから、あそこで引退したんです」

 

 引退後も、人気者だった。

 

「我ながら、よく働いたと思います。また、いっぱい働けた時代でもあった。引退直後は、まだバブルの時代。講演会だテレビだって、スケジュールがびっしりだったね。『なるほど!ザ・ワールド』なんて、準レギュラーだったからね。

 

 自分はそのおかげで、こうやって自分の部屋も建てることができた。時代がよかった」

 

 親方として、横綱・大関を含む9人の関取を育て上げた。

 

「横綱や大関もいるから、十分にやったといっていいんだろうけど、横綱は横綱でも、問題児だったからね……」

 

 1999年に入門、幕内優勝25回という輝かしい成績を残しながら、2010年に角界を引退した横綱・朝青龍。親方は、弟子が不祥事を起こすたびに、対応に追われた。当の朝青龍は先月、《長い間ご苦労さまでした♪高砂親方!!》とツイートしていたが、朝青龍のほうから連絡は、一度もないという。

 

「もし、メールを送ってきても、読まずに消すよ!」

 

 部屋を継承した元朝赤龍(現・高砂親方)は、朝青龍と同時にモンゴルから来日。そして、同じ明徳義塾高校から、1年遅れで入門してきた。

 

「同じモンゴル人なのに、まったくタイプが違うね。彼ほど、おとなしい人は珍しいよ。とにかく人当たりがいいんだ。親方としてのポリシー? まあ、嘘をつかない、人を騙さないってことですよ。人の生き方とまったく同じだよ」

 

 2020年、朝乃山が大関に昇進。横綱へ、と夢は繋がっていく。

 

「朝乃山は、横綱という大目標がある。(幕下の)村田も4番勝ったし、関取に上がれそうな幕下も増えてきている。まだまだ楽しみですよ」

 

 妻・恵さんが語る。

 

「右も左もわからないうちに、おかみさんになって30年。最初の10年は無我夢中、次の10年は、なにがなんだかわからない大変な10年、そして最後の10年はとても楽しかった。

 

 弟子たちの成長を、間近で見られて幸せでした。今はほっとした気持ちもありますが、少し寂しい気もします」

 

 最後に、定年後にやりたいことを親方に聞くと……。「まったくないね。どうせコロナでどこにも行けないんだから、考えるだけ無駄だよ!」と、“大ちゃん節” が飛び出した。

 

写真・桝元清香
コーディネート・金本光弘

 

(週刊FLASH 2020年12月22日号)

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