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野村監督「捕手の配球はすべて応用問題」が持論も…“天才型打者”に苦戦【短期集中連載Vol.3】
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.02.03 11:00 最終更新日:2021.02.03 11:00
2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。1周忌にあたり、15年間近くマネージャーを務めた小島一貴さんが、短期集中連載で「ノムさん」の知られざるエピソードを明かす。今回は、第3回だ。
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野村監督のファンであれば、監督がよく「キャッチャーは固定したほうがいい」と言っていたことを覚えているだろう。球団によっては2人以上の捕手を併用していることもしばしばあり、「投手との相性」「たんに競わせているだけ」など、さまざまな理由やメリットがあるだろうが、監督は捕手の併用を好まなかった。
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その理由として、「捕手は経験がモノをいうポジションだから」と言っていた。打者の観察、配球の駆け引き、さらにはマウンドにいる投手の調子の見極めなど、捕手には目配り気配りの能力(あるいは観察力、洞察力)が欠かせないのだが、「それができるようになるには試合経験を積むほかない」と言うのだ。
さらに、「記憶力には限界があるし、小さな変化に気がつくには、常に近くで見ていなければならないから」とも語っていた。打者との対戦のデータなどは、資料を見ることよりも実際に対戦したほうが得られるだろうし、しょっちゅう見ているからこそ、打者の調子の変化を知らせる小さなきっかけにも気がつくことができる、というわけだ。
また、「配球は一球一球が応用問題」とのこと。「常に正しい配球や “満点の配球” のような、型にはまったものはない」と断言していた。配球でいちばん大事なのは、相手の打者の分析で、結果的に凡打だったとしても、「打ち損じたのか、打ち取ったのか」の分析も大事だと言っていた。
だからこそ、こんな持論を展開されていた。
「捕手は日本シリーズを経験すると成長する。まったく気が抜けない試合が続くなかで、自分の指先のサインで勝ち負けが左右される。一球一球の重みが違う」
このように、監督の捕手論、配球論は尽きない。ただ、監督といえども最初から捕手や配球について詳しくわかっていたわけではない。
たとえばレギュラーに定着して2年めぐらいに、リードに自信がなくなって鶴岡一人監督に直訴し、キャッチャーを外してもらったことがあった。監督いわく、キャッチャーノイローゼになってサインを出す指が動かなかったという。
ライトを守ることになり、相手チームのブルペンが近くて、「守る位置違うよ、もっと右だよ」などと茶化されていたそうだ。それでもその試合の中盤になって、鶴岡監督に「いいからキャッチャーやれ!」と無理矢理戻されたという。
同じく現役時代、ある選手をどうしても抑えることができなかった。前回の対戦でこの球を打たれたから、今回はこう攻めよう、といろいろ考えるのだが、やはり打たれてしまう。
そんななか、ある記者との雑談で「ノムさん、あいつは何も考えてないよ。来た球を打つというタイプだよ」と教わってハッとしたそうだ。配球を読まない “天才型の打者” もいることに気づかされたのだという。
ちなみに、天才型の打者に対しては、セオリーどおりの攻めが有効で、直前の打席や前回の試合などの配球のデータは、あまり必要ないそうだ。
ちなみに監督が若いころ、内野ゴロで併殺を狙いたい場面では、内角の速球を詰まらせてゴロに打ち取るのがセオリーとされていた。そんなとき、オールスターで東映の池永正明投手が、別の方法を教えてくれたそうだ。
それが、バッティングカウントで、真ん中かやや外より、ストライクから低めのボールになるコースにスライダーなどを投じる、というものだ。打者有利のカウントだからどうしても強振したくなるところ、甘く見える球がボールゾーンに沈んでいくので、引っかけて内野ゴロになる。今でこそよく知られている配球だが、当時は監督にとっても勉強になったという。
このように、監督は自ら研究するだけではなく、他人から学んだ内容もきっちり自分の捕手論、配球論に組み込んでいった。その積み重ねにより、監督は球界随一の捕手、そして監督になったのだろう。80代になって、監督はこう言っていた。
「生まれ変わってまた野球をやっても、キャッチャーをやると思う。キャッチャーは楽しいよ。やめられない」