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戦術家・野村監督、口癖は「春は奇策の季節」幻の“偽投戦法”とは?【短期集中連載Vol.6】
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.02.06 11:00 最終更新日:2021.02.06 11:00
2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。1周忌にあたり、15年間近くマネージャーを務めた小島一貴さんが、短期集中連載で「ノムさん」の知られざるエピソードを明かす。今回は、第6回だ。
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監督の代名詞となっている戦術、戦法は多い。現役時代の「ささやき戦術」(キャッチャーがバッターに話しかけて気を散らす戦術)はあまりにも有名だが、じつは他球団の先輩捕手から仕掛けられ、なるほどと思い、盗んだものだという。
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また、阪急の福本豊の盗塁を阻止するため、投手陣に「ちっちゃいモーション」、今でいうクイックモーションを習得するように求めたが、これは日本初といわれる。
さらに、「ちっちゃいスライダー」を習得するようすすめられた皆川睦雄は、最後の30勝投手になるなど大活躍した。野村監督は日本初……いや、アメリカにも先んじた「カットファストボール」の開発者だったのではないだろうか。
ヤクルト監督時代に、日本シリーズでの失敗を教訓に確立した3塁ランナーの「ギャンブルスタート」も、今では野球ファンにはお馴染みで、アマチュア野球にも浸透している。
また苦肉の策ではあったが、「遠山・葛西スペシャル」(投手がベンチに下がらずいったん野手に交代し、再び投手に戻る戦術)は、阪神ファンには説明無用だろう。
このように数多くの戦術、戦法を駆使していたため、相手チームは監督の奇策を最大限警戒していたようだ。そして監督はこれを逆手にとっていた。
あまりメディアには出ていないと思うが、監督の口癖のひとつに、「春は奇策の季節」というものがある。
監督に言わせれば、そもそも戦いの基本は、「正攻法と奇策の組み合わせ」である。多くの野球関係者が証言しているように、原則として監督の戦い方はオーソドックス、すなわち正攻法だったという。
ただ時折、相手の意表を突く「奇策」を用いる。そのタイミングが絶妙であり、それゆえに成功するのだが、対戦相手は「奇策」を警戒するあまり、自縄自縛になってしまうのだ。
監督が「春は奇策の季節」だという理由はここにある。140試合以上の長丁場となるペナントレースにおいて、戦いを有利に進めるには、どうしたらよいか。開幕直後の4月に「奇策」を披露するのだそうだ。
シーズン序盤だけに相手は面食らい、シーズンを通してこれを警戒しつづけるようになる。そうさせることで、こちらはさらにその裏をかくことができる。結果、シーズンを通して優位に戦いを進められるのだという。
実際、4月に奇策を食らった某チームが、シーズンを通してほとんどサインプレーを仕掛けてこない、ということがあったそうだ。「下手に動いて、こちらの策略にやり返されるのを恐れていたのだろう」と、監督は述懐していた。
さて、監督が用いた戦術、戦法のなかで、個人的に大いに唸らされた渋い「奇策」をひとつご紹介したい。これもあまりメディアに取り上げられていないので、世間にはほとんど知られていない。ただし、現在のルールでは用いることができないということも付言しておく。
一定の年齢以上の野球ファンならよくご存じだろうが、走者1・3塁、または満塁の場面で、右投手が3塁に偽投をしてから1塁に投げる(あるいは偽投)、という牽制球が、かつては多く見られた。
今は3塁への偽投がルールで禁止されているため、こうした牽制はできないが、かつてはそれこそ少年野球でもよく見られた。それだけ浸透しているから、この牽制に引っ掛かりアウトになるランナーはほとんどいなかった。いわば、マンネリ化した戦術だったのだ。
このマンネリ戦術を、南海時代の監督は逆手に取った。ランナー満塁、とくにツーアウトのとき、ワンヒットで生還してやろうと前のめりになっているのは2塁ランナーである。そこで、投手は3塁に偽投をし、すかさず2塁に投げる、というサインプレーを確立したそうだ。開発した当初は、おもしろいようにはまったという。
数多くある野球のプレーを常にタブーなく考察し、いつも新しい戦術、戦法を模索していた監督だからこそ、辿り着いたサインプレーだろう。なんとも監督らしい「奇策」である。