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野村克也さん一周忌…死の1カ月前に告白した“壮絶な孤独”「すべて沙知代のおかげだった」

スポーツ 投稿日:2021.02.11 06:00FLASH編集部

野村克也さん一周忌…死の1カ月前に告白した“壮絶な孤独”「すべて沙知代のおかげだった」

亡くなる3週間前、金田正一さんお別れの会に参列した野村氏と、車椅子を押す息子・克則氏

 

 プロ野球界屈指の頭脳派捕手であり、戦後初の三冠王、そしてID野球を駆使して3度の日本一に輝いた名監督でもあった野村克也氏(享年84)が逝去してから、2月11日で1年。現在、亡くなる直前におこなわれたインタビューをまとめた著書『弱い男』(星海社刊)が話題を呼んでいる。

 

 2019年12月より開始されたインタビューは、逝去の約1カ月前である2020年1月8日まで4度、10時間に及んだ。しかし突然の逝去により、最後に生きることへの希望を聞くはずだった企画は頓挫し、悲観的な言葉ばかりが残された。

 

 

 出版断念も検討されたが、貴重な録音を無駄にしてはならないと、逝去から1年後、野村氏の事務所の協力も得て、刊行に至ったという。そこには、野村氏の最晩年の孤独と向き合う姿が残されていた。(《》内は『弱い男』より引用)

 

《沙知代が亡くなって2年が過ぎた。年齢のせいなのか、それとも妻を亡くしたからなのか、以前と比べるとかなり忘れっぽくなったと自分でも思う。記憶に残すほどのことがないから、老人というのはボケていくのかもしれない。

 

 ふと、考えることがある。生きていることに意味はあるのだろうか? いくら考えても答えなんか出ないから、やっぱりただボーッとして過ごすことになる》

 

 野村氏は、2017年12月に妻の「サッチー」こと野村沙知代さん(享年85)に先立たれた。

 

「沙知代さんが亡くなった直後、監督はメディアの取材にヒゲを剃らずに現われました。選手にはヒゲを剃るよう、あれほど口うるさく言っていて、自分も人前に出るときは必ず剃っていたのに……。深いショックがあったんだと思います」

 

 そう語るのは、当時のマネージャー、小島一貴さん。「インタビューの受け答えはしっかりとしていたが、沙知代さん亡きあとは、深い喪失感を抱えていた」と小島さんは続ける。

 

「取材のときは、『こんな爺さんの話が役に立つのか』とか、『もうお迎えが来てるよ』などと冗談を言っていました。80歳を過ぎてからは、自ら老化をネタにしているようなところもあったほどですが、寂しさは隠せていませんでした」

 

 そんな野村氏だったが、自宅に戻ると、余生についてひとり思い悩んでいたという。

 

《老後の人生はいったい何を楽しみに生きたらいいのだろう? 人間、欲がなくなったらおしまいだ。お金はたくさんある。もう、金銭欲はない。性欲もない。歳を取ると悲しいよ。女性に相手にされないんだから。80過ぎのじいさんを相手にする女性なんているはずがない。

 

 若い頃のように、銀座に行きたいとは思わない。昔は電話番号や住所を聞かれたこともあったけど、今は誰にも何も聞かれない。私は、今も昔もモテないからな。金銭欲も物欲も性欲も、もうない。寂しさを紛らわすものがないんだ。だからテレビを観ているだけ。

 

 気持ちをどこかに持って行くものがあったらいいのかな。そう考えると、野球だけが寂しさを忘れさせてくれるのかもしれない。プロ野球だけでなく、高校野球中継を見ていても楽しい。若いときは、高校野球の監督が夢だった。だから、オフシーズンがとても退屈だ。

 

 テレビを点けても、サスペンスくらいしか見るものがない。かつては、「こういう番組は誰が見るんだろう?」と思っていた頃もあったけれど、私のような老人が見るものなのだと、最近は実感している。趣味・野球――。私はそんな老人だ》

 

 野村氏は、孤独による寂しさに苛まれていたのだ。

 

「『女房がいなくなって困る』とか、『男は弱い生き物だ』とかボヤいていましたが、(同じ敷地内に住む)克則夫人や家政婦さんが、いろいろと身の回りのお世話をしていたので、それほど不便は感じなかったと思います」(小島さん)

 

 老後は孫の成長を楽しみにする人も多いが、野村氏は、ひと味違った。

 

《子供や孫の成長を見守るのが老人の楽しみだという。でも私の場合は安心はするけれども、別に嬉しくはない。克則ももう50歳になろうとしている。孫は元気に立派に育ってほしいけれど、だからといって、我がことのように幸せを感じることもない。

 

 一般的には「子どもより孫のほうがかわいい」という人も多いが、私の場合はどうだろう? 私だってもちろん、孫たちに全然興味がないということはない。けれども、やっぱり沙知代ほど孫を溺愛することはなかった気がする。「成長を楽しむ」のは、自分の子どもだけで十分だと思う》

 

 息子の克則氏には、感謝の気持ちを語っている。

 

《克則がすべてを救ってくれたような気がする。いい嫁をもらって、仕事もちゃんとして、今もずいぶん助けられている。

 

 克則の家は、我が家の敷地内にある。彼が家を建てるとき、最初はいい気がしなかった。広々とした庭が狭くなってしまうじゃないかと、内心では「嫌だなあ」と思っていたが、沙知代は隣に家を建てることに賛成した。

 

 でも、今から考えたらよかったのかもしれない。沙知代が亡くなった今、すぐ近くに息子夫婦がいるおかげでラクに生活させてもらっている。やはり、沙知代の判断は正しかったのだ》

 

 息子夫婦に見守られながら暮らす生活。しかし、《今ではいつ死んでもいいと考えている。もうこれ以上長生きしたいとは思わない。どんな死に方がいいのかな? 理想を言えば、沙知代みたいに苦しまずに死にたい》と、著書に記されたとおり、2020年2月11日未明、自宅の浴槽でぐったりしているところを発見され、病院で息を引き取った。

 

「監督は長患いしたわけでもなく、いつものように元気だなと、周囲が思っているなかで逝かれました。沙知代さんと同じように、苦しまずに亡くなられたと思います」(小島さん)

 

 インタビューで野村氏は、「自分は幸せだった」と、繰り返し口にしていたという。

 

《私も幸せだった。野球があったから、ここまで生きてこられた。「野村克也」以上に、野球で成り上がった選手はいないだろう。

 

 そして、沙知代がいたから、こんなに弱い私も何とかここまで生きてくることができた。世間において評価を受けることができた。それはすべて沙知代のおかげだった。私は本当に幸せだった》

 

(週刊FLASH 2021年2月23日号)

 

写真・時事通信

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