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なぜ野茂英雄は全米を熱狂させたのか…ロッテ・吉井コーチ、中日・与田監督が証言
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.04.02 06:00 最終更新日:2021.04.02 06:00
「日本人は通用しない」といわれた時代に、メジャーリーグに乗り込みトルネード投法で全米に旋風を巻き起こした男が貫いたものーー
今季、8人の日本人選手がプレーするメジャーリーグ。
大谷翔平が二刀流復活、前田健太が開幕投手に決定するなど、まだオープン戦の期間とはいえ、連日、日本人選手の活躍がニュースになっている。
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だが、それは26年前の野茂英雄の挑戦がなければあり得なかった。
なぜ野茂は、「NOMOマニア」という言葉を生み出し、日本国内のみならず全米を熱狂させることができたのか。
元チームメイトらの証言でその理由に迫る。
コロナ禍で迎える2度めのメジャーリーグ開幕。暗い話題が先行してしまうが、明るいニュースを届けたのはエンゼルスの大谷翔平だ。
3月21日に「一番・投手」でパドレスとのオープン戦に先発出場し、メジャー自己最速を更新する約164kmをマークした。
現在8人の日本人選手が所属し、2020年に西武からレッズに秋山翔吾が移籍して全30球団に日本人選手が所属したことになったメジャーリーグ。だが、26年前までは手の届かない遠い世界だった。
「野茂がメジャーに行くと決まったときは、それはもうびっくりしましたよ。どんなに実力があっても、どんなにメジャーリーグでやりたいと思っても、行くルートがまったくない。
現実的には行くことのできない夢の世界でした。まさか、メジャーリーグの球団と契約できるなんて夢にも思っていませんでした」
当時を思い出して興奮気味に話すのは、メジャーリーグ評論家の福島良一氏。
「1964年にジャイアンツに野球留学した村上雅則さんが2年間プレーしました。その後30年間、メジャーリーグには日本人選手が存在しないわけです。
そこを団野村さんが強引に行かせたわけですが、当時はみんなに反対されて、完全な悪者扱い。
野茂が行っても失敗するという声ばかりで、本当に裏切り者と言われていました。
でも、野茂の活躍がなければ時代は進まなかった。まさにパイオニアでした」
■圧倒的なスケールに見た瞬間「負けた」
野茂さんの何がすごいのか。
「見た瞬間、負けたと思いました」と話すのは、千葉ロッテ一軍投手コーチの吉井理人氏。野茂さんとは日本では近鉄で、メジャーではメッツでチームメイトだった。
「春のキャンプで初めて見たんですが、(抑えのエースとして活躍していた)当時の僕はドラフト1位で入ってくるピッチャーなんかには負けないと思っていましたから。でも、野茂はスケールが違いました」
中日の与田剛監督も最初の印象をこう話す。
「1989年の全日本の春の合宿で初めて会ったんですが、何か醸し出すものがあったんでしょうね。
ものすごく雰囲気があって体も大きかった。真横でピッチング練習をしたんですが、自分も何か吸収したいと思って、野茂君のことばかり見ていました」
当時からメジャーへ行きたいという気持ちを強く持っていたと2人は口を揃える。
「野茂はソウル五輪に出場したこともあって、外に目が向いていたんでしょうね。
当時、NHKのBSで大リーグの中継をたまにやっていたので、近鉄の仲間たちとよく観ました。すごく興味があって行ってみたいけど、行く方法がわからない。
そこを野茂が隙間をこじ開けるように出ていったときは『うおー、こいつ、やりよったな』って思いました」(吉井氏)