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なぜ野茂英雄は全米を熱狂させたのか…ロッテ・吉井コーチ、中日・与田監督が証言
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年度別成績
■間違いなく「メジャーの救世主」だった
紆余曲折を経て野茂さんが海を渡った1995年、メジャーリーグは危機的な状況にあった。
「労使対立で1994年8月からストライキに入り、シーズンは打ち切り、ワールドシリーズは中止という最悪な事態でした。
ファン離れも起き、メジャーリーグの長い歴史のなかで最大のピンチを迎えていたといってもいいでしょう。4月25日に通常よりも遅れて開幕。そして5月2日に野茂がメジャーリーグでデビューしました。
その試合からトルネード旋風が全米で巻き起こりましたね。独特の投球フォームといい、伝家の宝刀のフォークといい、彼の個性が全米を虜にした。
全米が野茂に注目し、奪三振ショーに熱狂しました。
アメリカは国土が広いから、グッズは地元のチームのものしか売っていないんですが、ロサンゼルスだけでなく、全米のいたるところで野茂グッズが売られていたのには驚きました。僕も初めて見た光景でした」(福島氏)
野茂さんの快進撃は続く。初年度から新人王、奪三振王となり、チームを地区優勝に導く。
「あそこまで活躍するとは夢にも思いませんでしたよ。1年めにオールスターゲームでいきなり先発登板しましたからね。
ストが終わって開幕した1995年シーズンは観客動員数が落ち込んでひどかったけれども、野茂の活躍によって一気にファンが戻ってきたといっていいと思います。野茂はアメリカ野球界の救世主になりました」(同前)
■一度決めたら絶対に「言い訳」をしない
野茂さんはなぜメジャーで活躍できたのか。そして、なぜそれほど全米を熱狂させたのか。
「ひと言で言うと、心身ともに信念があるというかね。体も強いですし、何かをひとつ貫き通す、いい意味でのしつこさというんですかね。成功する人はみんなより少ししつこいと思うんです。野茂君はその継続する力が多いのかなと思いますね」(与田監督)
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中日・与田監督は野茂さんと1989年全日本のチームメイト
吉井氏も同じ言葉を選んだ。
「自分をしっかり持っているので、自己主張がしっかりできた。まわりに流されない強い信念を持っていたと思います。じつはああ見えてすごくピュアな性格なんですよ。
人の成功を素直に喜べたり、好奇心が旺盛だったり。そんな性格だから、アメリカでも通用したんじゃないですかね。あと、野茂はボールが滑るとかマウンドがどうだとか言ったことないですよね。
ボールが滑るのはメジャーリーグだから。俺はメジャーリーガーだから、これで投げるのが当たり前、これが楽しいんだよって。そんなふうに思える、ある意味の図太さがあるから、活躍できたんだと思います」
そして福島氏が選んだ言葉も「信念」だった。
「どんな過酷な状況であっても、自分で決めたことは一切、後には引かないという強い信念がありました。野茂じゃなかったら絶対に成功できなかったと思うぐらい、強い信念とハートの持ち主だったと思います。
確か、タイガース時代のことです。デトロイトでの試合のとき、野茂が投げていると虫の大群が押し寄せて、選手たちが逃げ回って試合どころじゃなくなった。
とても集中できる状況じゃないのに、野茂だけはまったく表情を変えず、虫が来ようが何が来ようがおかまいなし(笑)。どんなことが起こっても動じないんでしょうね」
2019年と2020年、中日のキャンプ地に野茂さんの姿があった。
「野茂君から『キャンプに行っていいですか』って連絡をくれましてね。うちには阿波野(秀幸)、村上(隆行)、赤堀(元之)と近鉄の同僚がいますから、友人としてふらっと会いに来てくれて嬉しいですよね。
教えてやってくれと言うまで口を出さないし、迷惑をかけないようにと陰に隠れてるんです(笑)。
ビジネス的なことではなくて、一切ギャラは発生してないですから。人を大事にして、助けてもらった恩は後世に残すという考えだから我々も尊敬する。
野球人として人間として、野茂君は死ぬまで憧れです。野茂君がなぜ人を惹きつけるのか? それは野茂だからですよ」(与田監督)
野茂さんがメジャーリーグの扉を開いてから26年。福島氏は「メジャーという夢の世界を、現実にしてくれたのは彼です」と断言する。ブレない信念があったからこそ、時代は進んだのである。
(週刊FLASH 2021年4月13日号)