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ポケモン「サワムラー」のモデルにも…亡くなった沢村忠さんが語っていた“第二の人生”哲学

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.04.02 06:00 最終更新日:2021.04.02 06:00

ポケモン「サワムラー」のモデルにも…亡くなった沢村忠さんが語っていた“第二の人生”哲学

本誌2002年7月9・16日合併号に、歌手デビューした娘・玲子さんと出演した沢村さん

 

 3月26日に「キックの鬼」の異名を持つ伝説のキックボクサー・沢村忠さんが、千葉県内の病院で亡くなっていたことが明らかになった(享年78)。判明したのは3月31日、死因は肺がんだった。

 

 沢村さんはシナリオライターを目指し、日大芸術学部映画科に入学。剛柔流空手部に所属し、60戦無敗を誇った。1966年、キックボクシングに転向し、必殺技「真空飛び膝蹴り」で国民的スターへの階段を駆け上がった。

 

 

 1977年に引退するまでの通算戦績は、241戦232勝(228KO)5敗4分。その驚異的な強さは讃えられ続け、世界的人気ゲームとなった『ポケットモンスター』の第一作から登場する、格闘キャラクター「サワムラー」のモデルとされていた。

 

 引退時の沢村さんは34歳という若さだったが、過去の栄光にすがりつくことなく、キックボクシング界から完全に身を引いた。マスコミの前から姿を消した「キックの鬼」には、“ヤクザの用心棒になった” など、さまざまな憶測が乱れ飛んだ。

 

 そして引退から8年後の1985年末、スポーツライターの織田淳太郎氏の取材記事により、沢村さんが “第二の人生” を自動車修理工としてスタートさせていたことが判明。さらに17年後の2002年4月、本誌のインタビュー取材に沢村さん本人が応じ、引退の理由をこう明かした。

 

「武士道的な生き方に憧れていたから、選手時代の勲章はそっと心の中に置いて、引退後は切り離したかった。ただ、織田さんと話をするうちに、徐々に『キック時代の俺と、もうひとりの俺がいるんだ』と、過去を周囲にも語ることができるようになりました。

 

 エンジニアになったのは、機械は嘘をつかないし、ひとりで考え事ができたから。キックに出会っていなかったら、物書きになっていたかも。今は、自分の工場の経営と、ゲーム機器などの販売会社の役員で食べています」 

 

 引退から25年後の当時も鍛錬は怠らず、174cm61kgの体型は、現役時代のままだった。暇を見つけては、選手時代から趣味の油絵を描いてると明かしてくれた。

 

「作品は30点くらい。絵は無心になれます」

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