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【4月9日の話】阪神・金本知憲が連続試合フルイニング出場の世界記録を樹立

スポーツ 投稿日:2021.04.09 06:00FLASH編集部

【4月9日の話】阪神・金本知憲が連続試合フルイニング出場の世界記録を樹立

金本知憲の引退会見

 

 2006年4月9日、阪神タイガースの金本知憲選手(当時)が連続試合フルイニング出場数を「904」に伸ばし、大リーグのカル・リプケン(当時オリオールズ)がもっていた世界記録を更新した。

 

 1992年に広島東洋カープに入団した金本。入団直後は結果が出せず苦しむも、その類まれな努力とセンスで3年目に才能が開花。カープの4番を任されはじめた1999年7月21日から、「連続試合フルイニング出場」世界記録樹立への道のりが始まった。

 

 

 2003年にFA権を行使し阪神タイガースに移籍したのちも、金本はバットでチームを牽引。18年ぶりのリーグ優勝に貢献し、見事に阪神ファンの期待に応えた。

 

 豪快なホームランと愛嬌あふれる人間味から、いつしか「アニキ」の愛称で親しまれた金本。スポーツ記者がこう語る。

 

「もう阪神の顔でしたよね。豪快で頼もしくて、ファン想い。金本は、阪神ファンが求めていた理想の主軸そのものだったんでしょう」

 

 2004年、大きなピンチが訪れる。7月29日の中日戦で、金本は岩瀬仁紀投手からデッドボールを受け、左手首を剥離骨折したのだ。

 

「普通の選手だったら、骨折してたら当然、試合は休みます。鼻骨とかだったらまだわかりますが、金本は手首ですからね。下手すると、ケガが悪化して、その先のキャリアに影響が出ます」(前出・スポーツ記者)

 

 しかし金本は、翌日にいつものように試合に出場し、巨人の高橋尚成投手からヒットを放っている。

 

「右手だけでグリップを握ってヒットにしちゃうんですから、本当にすごいです。当時のプロ野球の連続試合フルイニング出場記録は先月亡くなられた三宅秀史さんの700試合でしたが、金本はその記録を破るためではなく、4番の責任として出場したのです」(同)

 

 いまでも阪神ファンの間で、この「片手ヒット」は有名な語り草になっている。

 

 ピンチを乗り越えて試合に出続けた金本は、2005年に打率.327・40本塁打・125打点と、打撃3部門すべてで自己記録を更新し、再びチームのリーグ優勝に貢献した。

 

 そして2006年4月9日の横浜戦で、904試合連続フルイニング出場を達成し、世界記録を樹立した。

 

 その後も記録を伸ばし続けたが、2010年4月18日の横浜戦で突如スターティングメンバーから名前が消え、連続試合フルイニング出場は「1492」でストップ。守備力の低下が、チームの負担につながることを懸念し、金本自身が判断した結果だという。

 

「そのとき42歳で、打率も調子が悪くて。特に守備がね。年々肩が衰えていて、外野守備も限界を超えたようです。金本が守っていたレフトからの送球も、内野に届かないなんてことがありましたから」(同)

 

 ちなみに、金本がスタメンを退いたその日、阪神の4番を引き継いだ選手が、金本の「弟分」として知られる新井貴浩だ。

 

 2012年に引退した金本は、2016年から監督としてチームの指揮をとり、2018年、野球界の発展に貢献したとして、野球殿堂入りを果たした。

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