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【4月26日の話】王貞治がプロ第1号ホームラン…大偉業で政府が国民栄誉賞創設へ
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.04.26 11:00 最終更新日:2021.04.26 11:00
1959年4月26日、元巨人・王貞治がプロ第1号ホームランを記録した。
後楽園球場でおこなわれた対国鉄スワローズ(現ヤクルト)戦。その第3打席、王のバットは、投手・村田元一が内角低めに投じたカーブを見事に捉えた。
のちに世界記録となる868本の本塁打を放ち、「世界の王」と呼ばれるまでのストーリーはここから始まった。
本誌スポーツ記者が明かす。
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「王といえばホームランバッターのイメージがありますが、早稲田実業高校時代は『投手』として春のセンバツで優勝を果たしています。
投手として巨人に入団したのち、首脳陣からの評価を得て野手に転向しました。川上哲治が長く守ってきた一塁を継承する形で、7番・一塁で開幕戦から起用されました。当初はプロの壁に苦しむも、『一本足打法』を習得し、長距離砲としての才能を一気に開花させました」
その後の王の活躍は言うまでもない。
プロ4年目から13年連続で本塁打王を達成し、主軸として、長嶋茂雄(現・巨人軍終身名誉監督)とともに巨人のV9時代を支えた。1964年に記録したシーズン最多55本塁打は、2013年にヤクルトのウラディミール・バレンティン(現・ソフトバンク)に抜かれるまで、長らくホームランバッターの目標となった。
「1977年には、通算本塁打記録を756本とし、メジャーリーグを含む世界単独1位となりました。今年1月に亡くなられたハンク・アーロン氏(当時アトランタ・ブレーブス)が持っていた世界記録を更新したんです。
王とアーロンの親交の深さは有名です。王が本塁打記録を更新した際、日米の野球レベルや球場の広さなども踏まえて、王の世界記録を認めない声が海外で相次ぎました。その際もアーロンは『本当にすごい選手だ』と報道陣に語っており、王の偉業を讃えています」(前出・スポーツ記者)
「世界の王」となったこの年、日本初の国民栄誉賞を受賞する。
「いまの若い世代の人たちにはあまり知られていないかもしれませんが、『国民栄誉賞』はもともと当時の福田赳夫首相が王の世界記録更新を表彰するために設立した賞なんです。存在していた賞を受賞したのではなくて、表彰されるために賞が設立されたことがすごいですよね」(同)
1980年、王は現役を引退。通算本塁打数は「868」まで伸び、いまなおプロ野球における世界最多本塁打記録である。
その後も王は、「野球人」としてのキャリアを重ねていく。1990年には、王と前出のアーロンが「世界少年野球大会」を設立するなど、野球の世界的普及に力を注いでいる。巨人やダイエー(現・ソフトバンク)でチームを優勝に導き、第1回ワールド・ベースボール・クラシックでも日本代表監督として指揮を執り世界一に。現在は福岡ソフトバンクホークスの取締役会長として、その影響力を発揮している。
写真・時事通信