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岡田武史元監督に学ぶ「運気を引き寄せる力」…リーダーの運の強さとは何か
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.05.07 16:00 最終更新日:2021.05.07 16:00
「強運」のリーダーは、自分自身だけでなく、メンバーやチームにも「強運」を呼び込む。ここでは、実際に存在するリーダーを例にとって、興味深いエピソードを紹介しよう。
それは、サッカーの全日本代表監督を務めた、岡田武史氏のエピソードである。
2010年に開催されたサッカー・ワールドカップ南アフリカ大会において、岡田監督率いる全日本チームは、事前の予想を覆し、一次リーグを見事に突破し、決勝トーナメントに進んだ。
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その初戦、ベスト8を懸けたパラグアイ戦は、文字通り死闘と呼ぶべき戦いとなり、前後半戦のみならず延長戦においても勝敗が決まらず、遂に、最後のPK戦にもつれ込んだ。しかし、このPK戦は、運が味方せず、名選手、駒野がゴールを外し、敗れ去ることになった。
これはサッカーファンの間では良く知られている、惜しくもベスト8を逃した場面であるが、この試合後、報道陣に囲まれた岡田監督、「岡田さん、敗因は?」と聞かれて、何と答えたか。それは、見事な答えであった。岡田監督は、ただ一言、こう答えた。
「ええ、私の勝利への執念が、足りませんでした!」
その答えは、「あの場面で戦術を誤った」や「あのときの選手の起用を誤った」といったものではなかった。ただ一言、「私の執念が足りませんでした!」という言葉であった。
では、なぜ、これが、見事な言葉なのか。この言葉は、一見、すべてを自分の責任として引き受ける「謙虚な姿勢」を示す言葉のように聞こえる。しかし、実は、この言葉は、岡田武史というリーダーの「深い自信」を示す言葉である。
なぜなら、「私の執念が足りませんでした」という言葉は、裏返せば、「自分の執念で、チームに運気を引き寄せることができる」という意味の言葉であり、PK戦という「運気」によって左右される場面においては、自分の執念や想念、意識や精神の力で、その「運気」を引き寄せることができるという、岡田監督の信念を表した言葉だからである。
この岡田監督の例のように、優れた経営者やリーダーは、自分が率いる会社や団体、組織やチームに、自分の想念や精神の力で「運気」を引き寄せることができると信じており、そして、現実に、その力によって、運気を引き寄せている。
実際、岡田監督は、それまでも、何度も「運気を引き寄せる力」を発揮している。
例えば、全日本チームが初めてワールドカップの本大会に出場した、1998年のフランス大会。その最終予選では、戦績不振の責任を取り、加茂周監督が退任し、急遽、それまでコーチであった岡田武史氏が全日本代表監督に就任し、指揮を執ることになった。
しかし、その岡田新監督にとっては初陣であり、予選突破のためには絶対の勝利が求められていた、次のウズベキスタン戦でも、必死の戦いも空しく、勝利することができず、引き分けに終わった。
試合終了とともに、日本中のメディアも、サッカーファンも、「ああ、これで、日本の予選敗退が決まった…」と落胆した状況のなか、岡田新監督を取り囲んで記者団のインタビューが行われた。
ところが、このインタビューで、岡田新監督は、何と言ったか。誰もが「これで、予選突破は絶望的になった!」と思っている、その報道陣を前に、岡田新監督は、微塵の迷いも見せず、こう言った。
「いや、まだ、首の皮一枚、残っています! ひょっとすると、ひょっとします!」
筆者は、この場面を、当時、テレビを通じて東京で見ていたが、内心、「この若い新監督、見事なリーダーだ」と思った。
なぜなら、「真のリーダー」とは、厳しい逆境において、100人の部下全員が「この勝負、もう駄目だ!」と思っても、そこに、わずかでも勝利の可能性があるかぎり、「まだ、勝負はついていない!」と語り、100パーセント敗北が決するまで、決して諦めないリーダーだからである。
このフランス大会、岡田新監督率いる全日本チームは、粘りに粘り、結局、イランとのプレーオフにまで持ち込み、最後は、Vゴール(ゴールデン・ゴール)による劇的な勝利を収めた。
これが、世に伝えられる「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる名場面であるが、このように、岡田武史氏は、新監督として指揮を執った、この最終予選でも、リーダーとして「運気を引き寄せる力」を発揮しているのである。
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以上、田坂広志氏の新刊『運気を引き寄せるリーダー 七つの心得 ― 危機を好機に変える力とは』(光文社新書)から抜粋・紹介しました。意識的に「運の強さ」を身につける方法とは?
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