1922年5月7日、日本初となるプロボクシング試合「日米拳闘大試合」が、靖国神社相撲場で開催された。
相模女子大学人間社会学部准教授で、ボクシングの近代史を研究する木本玲一さんは、こう語る。
「1853年にペリーが黒船で来航したとき、ボクサーの水兵を引き連れてきたという話が、一部の資料には残っています。明治が始まった頃には、元力士の浜田庄吉が、アメリカからレスラーやボクサーを連れて帰国し、力士とボクサーを戦わせる興行を行っていたようです。
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1896年には、ジェームズ北條と斎藤虎之助らが、ボクシングジムとして『メリケン練習所』を開設します。ただ、入門者を手加減なしで殴ってしまったため、長続きせず、なくなってしまいます。
明治から大正時代にかけては、『柔拳興行』なるものが日本各地で盛り上がりを見せます。小さい日本人が柔道を使い、外国人ボクサーを倒すという一種の見世物ですね。
1921年に神戸で開催された興行は、2~3円の入場料を取っており、そこそこ値の張る娯楽だったようです。その後は、『純拳』と呼ばれる、ボクサー同士の戦いの方が人気になっています」
日本で柔拳興行が流行していると聞いて、アメリカから帰国したのが、「日本ボクシングの父」とされる渡辺勇次郎だ。
貿易商を目指して1906年に渡米した渡辺だが、ボクシングを学び始めてから才能が開花し、カリフォルニア州でデビュー。当時のライト級王者に勝利し、タイトルを手にして1921年に帰国した。
「帰国と同時に、本格的なボクシングジムとして日本初となる『日本拳闘倶楽部』を創設します。『日米拳闘大試合』がおこなわれたのは、そのすぐ翌年です。
イベント自体は盛り上がり、靖国神社にはたくさんの人が押し寄せました。体重などの規定はあえて無視したようですね。
日本とアメリカ、どちらが優勝したかは定かでないのですが、日本が勝つこともあれば、引き分けることもあったと聞いています。
おそらく、このイベントは日本拳闘倶楽部のプロモーションの面が大きかったのだと思います。ボクサー同士の試合を見せ、闘いたければジムに来い、と呼び込めますから」(木本さん)
渡辺の狙いは当たった。日本拳闘倶楽部は、のちに昭和ボクシング界の大スターとなるピストン堀口や、岡本不二、萩野貞行など、そうそうたるメンバーを輩出する名門ジムとなった。
「柔道家とボクシング選手が戦う『柔拳』がなければ、日本ボクシングの発展もなかったでしょうね」(木本さん)