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照ノ富士、満身創痍の“二場所連続優勝”を支えた美人妻の献身愛「ダメなら私が働くから」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.05.23 18:00 最終更新日:2021.05.23 18:00
地獄を見た男は強いーー三月場所に続き、五月場所も優勝した大関・照ノ富士(29)。5月23日、1勝リードで迎えた千秋楽、貴景勝に本割で敗れたものの、優勝決定戦を制し、見事連覇を飾った。
兄弟子でもあり、部屋付きの安治川親方(元関脇・安美錦)は、「五月場所の相撲内容には、文句のつけようがなかった」と称賛する。
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「相手につけ入る隙を与えない。以前なら、『今日の相手なら大丈夫』と油断するときもあったが、今はそれさえない。イメージがよくない相手と当たる前には、以前の取組映像を見返して研究もしています」(安治川親方、以下同)
万全で迎えた五月場所に見えたが、そうではなかった。じつは三月場所の最中に、膝の骨にヒビが入っていたのだ。
「三月場所の10日目、志摩ノ海戦です。突き落としで敗れたのですが、そのときにやったのだと思います。それでも、それから5連勝して優勝したわけですが、場所後にレントゲンを撮ったところ、膝にヒビが入っていたのです」
そんな状態で、3大関を下しているのだから、このところの照ノ富士の力がいかに抜きん出ているかわかろうというもの。場所後は怪我の回復に努め、稽古場の土俵で相撲を取れるようになったのが、番付発表(場所初日の2週間前、4月26日)前後だったという。
「相撲が取れないあいだもウエイトトレーニングを欠かさずやっていたのは、体の張りでわかりました。以前の照ノ富士であれば、そこまで自分を追い込むことができたかどうか。苦しい思いをしてきたことに加え、奥さんの存在も大きかったのではないでしょうか」
膝の怪我に加え糖尿病を患い、番付を大関から序二段にまで落とした照ノ富士。その苦しい時期を支え続けたのが、同じモンゴル出身のツェグメド・ドルジハンドさん(26)だった。引退するか悩んでいた照ノ富士に奥さんは、「あなたがどの道を選んだって私はついていくよ」「だめだったら私が働くね」と、優しく声をかけてくれたという。
3年前に結婚した2人は、2021年2月に挙式をおこなった。
「稽古のとき、奥さんが車を運転して部屋に来るんですが、わざわざ車を降りて挨拶するなど、礼儀正しくてしっかりした方ですよ。体調がよくなってきたのは、食事管理をはじめ、奥さんのサポートがあったからでしょう。
照ノ富士は、もともと投げやりなところがある性格。そんな気持ちをうまく繋ぎ留めてきたのも、奥さんなんじゃないかな」
次の七月場所は、“綱取り” に向けて大事な場所となる。安治川親方も太鼓判を押す。
「来場所、白鵬が復帰すると聞いていますが、今の照ノ富士ならば一気にと、私は思っています。当然、照ノ富士本人も、それは意識しています。今が大きなチャンス、これを逃すつもりはないという気持ちですよ。
『長く相撲を取るつもりはない』。そして『太く、短く』と、本人は言っています。いつまで膝が持つかわからない状態ですから、場所後半になると膝への負担が大きくなり、痛みが出てくる。三月場所も、後半は痛み止めの注射で持ちこたえていました。現実として、残りの力士生命はそれほど長くないかもしれません。
そして今、その力士生命を燃やして、燃え尽きるまで、思い切り相撲を取るんだと。私の目には、今の照ノ富士がそのように見えています」
横綱に昇進すれば、2017年の稀勢の里以来、第73代横綱となる。17歳で来日し、2011年五月場所の初土俵から10年。幾多の苦難を乗り越えた大器が、頂点に立つ日が近づいている。それが「太く、短く」であろうとも、迷うことなく、一気に突き進む。
(週刊FLASH 2021年6月8日号)