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ノムさんを待たずに先に帰宅…「南海の悪人」江本孟紀との“師弟愛”
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.07.01 16:00 最終更新日:2021.07.01 16:34
2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。15年間近くマネージャーを務めた小島一貴さんが、ノムさんの知られざるエピソードを明かす。
今回は「南海の三悪人」の一人、江本孟紀氏とのエピソードを紹介したい。江本氏は1970年、ドラフト外で東映に入団。1年めから一軍デビューを果たし、26試合に登板して0勝4敗、防御率5.04という成績だった。昔のこととはいえ、ドラフト外で入団した選手が1年めに26試合も投げているのだから、東映でも期待が高かったのだろう。
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同じパ・リーグで対戦もあった野村監督は、早くから江本氏の能力に注目していたのだという。自分がリードすればもっと勝てる投手になると思い、トレードでの獲得を画策した。
東映と交渉をする際、初めから「江本が欲しい」と言うと、足元を見られて断わられるのではないかと警戒した監督は、「誰でしたっけ、え~と、あの背の高いピッチャー」と言葉を濁し、「江本ですか?」と問われて初めて「そうそう、そんな名前でしたね」と答えたそうだ。
思惑通り江本氏を獲得した監督は、江本氏を先発の柱として起用し、江本氏もいきなり16勝を挙げて期待に応えた。そしてこの年を皮切りに、8年連続で二桁勝利を記録するのである。
江本氏といえば気性の荒い選手だったというエピソードが多い。阪神時代には自身の発言が原因で現役引退に追い込まれたと言われている。監督もかなり手を焼き、「三悪人」の一人と評したのだろうが、江夏豊氏、門田博光氏と同じく、「悪人」という表現には愛情と感謝が感じられる。
あるテレビ番組の仕事で、監督が江本氏と一緒になった際に、マネージャーとして同行したことがある。二人の出演は別々の時間帯だったが控え室で一緒になり、世間話をするなどして待ち時間を過ごしていた。監督と江本氏の様子は、昔からの仲間であり、師弟関係であるような感じに見受けられた。門田氏のときも感じたのだが、南海時代のチームメイトと話をするときの監督は、どことなく若返って見えた。
この日の出演は江本氏が先で監督が後だった。先に出番を終えた江本氏は、監督の出番が来るまで一緒に待っていたが、監督がスタジオに入ると、「それじゃ、お先に」と、関係者に挨拶をして帰ってしまった。その様子はいたって自然なもので、私もなんの疑問も抱かなかったのだが、少々困惑していたのが解説者のA氏とB氏である。
二人とも出番はすでに終わっていたのだが、「江本さん、帰っちゃったね」「どうする?」「俺たちは帰れないよなぁ」などと話していた。二人とも江本氏に負けず劣らずの実績のある方々だったが、監督とは同じチームになったことがない。大先輩である監督が出演している間に、先に帰ってしまうわけにはいかなかったようだ。
この様子を見ていて、私もようやく気づいた。毎日のように接していると忘れそうになるが、監督は野球界きっての大御所なのだ。また、監督と江本氏は特別な関係にあること、そして監督が「三悪人」と表現する真の意味にも気づかされたように感じた。「悪人」という表現は、愛情と感謝の裏返しなのだと思った。
帰りの車の中で、「江本さん、先にお帰りになりましたね」と問いかけた私に対し、監督は「あいつが待っているわけがないよ」と笑顔で返した。青年監督とやんちゃな選手という関係が続いているかのようだった。