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大谷翔平、全米から愛される “SHOHEI” を生んだリトルリーグ時代「3つの心がけ」【子供時代の写真多数あり】
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.07.10 11:00 最終更新日:2021.07.10 11:00
いまや、全米が大谷翔平(27)フィーバーに沸いている。7月7日(日本時間8日)のレッドソックス戦では、右翼スタンドに叩き込む32号ソロで日本人野手新記録を達成。13日(同14日)におこなわれるオールスターでは、史上初の投手と指名打者の両方で選出、テレビ朝日系列で生中継も決定している。
また、アメリカでは映画批評サイトが毎年発表している「世界で最もハンサムな顔100人」にノミネートされるなど、いまや “世界のオオタニさん” である。
大谷の原点は2009年、甲子園に “花巻東旋風” が巻き起こった年に遡る。エース菊池雄星の活躍を、中学生の大谷翔平はテレビで見ていた。2人を指導した花巻東高校野球部の佐々木洋監督は次のように語っていた。
「雄星たちの野球を、中学生の大谷が見たことは大きかったと思います。岩手が野球で熱狂し、こんなにもみんながひとつになるんだと感じたわけです。あれがなかったら、大谷は他県の高校に行っていたかもしれない。すべては巡り合わせだったと思います」
父親は野球、母親はバドミントンというスポーツ一家で育った大谷は、小学3年生のとき、岩手県の水沢リトルリーグで本格的に野球を始めた。当時のチームメイトが、大谷との思い出を語る。
「グラウンドのライト側フェンスの外には川が流れていました。川までの距離は約70メートル。普通の小学生はそこまで飛ばせません。ところが、翔平は打撃練習でどんどん放り込むんです。硬式ボールは水に濡れると使いものにならなくなってしまうので、『引っ張り禁止令』を命じられていましたね」
左打者の大谷は引っ張りを禁止され、レフト方向への強烈な流し打ちを小学生から鍛えられたわけだ。さらに打者だけでなく、投手としてもすぐに頭角を現わす。
「球速100キロで速球派とされるリトルリーグで、すでに120キロを出していました。僕たちとボウリングに行っても、絶対に球の穴に指を入れませんでしたね。当時から、投手にとって指先を大事にする意識は高かったんだと思います」(前出・チームメイト)
大谷は2007年の東北大会準決勝では規定の6回18アウトのうち、17アウトを三振で奪うという快投を見せている。メジャー入り後、7回1安打無失点12奪三振の好投を見せたとき、記者が「人生でいちばんの投球か?」と聞くと、大谷は笑みを浮かべて、「人生でいちばんは小学生くらいのときでした」と答えている。
小学6年時は主将を務めるなど、野球の素質は飛び抜けていたが、それ以外はいたって普通の少年だった。
「チャーミングな笑顔は、子供のころからそのままですね。チームメイトのお母さんたちからも可愛がられていましたし、当時から母性本能をくすぐるものがあったんでしょうね(笑)。野球が上手くてもけっして天狗にならず、ベンチでも休むことなくいつも大声で応援していました。勉強も手を抜かず、成績は優秀でしたよ」(同前)
高校時代の大谷は、2年の夏、3年の春と2度、甲子園に出場。しかし、骨の成長過程にある成長痛や肉離れに悩まされ万全の状態ではなく、ともに一回戦で敗退した。
「高3春のセンバツ1回戦の大阪桐蔭戦で、藤浪晋太郎のスライダーを完璧にとらえて右中間にホームランを打ちました。当の藤浪が『あの球を打たれるのかよ』といった表情で呆然としていたのが印象的でした」(スポーツ紙記者)
3年夏、満を持して菊池超え(全国優勝)に向けて、岩手県予選を順調に勝ち上がった。準決勝の一関学院高戦では初回から150キロオーバーを連発。6回表、二死二、三塁のピンチで、一気にトップギアに入った。初球157キロ、4球め159キロ。真っ直ぐを投げ続け、6球めに前人未到の160キロをブチ込み、野球ファンの興奮は最高潮に。しかし翌日の決勝戦でまさかの敗退。甲子園には届かなかった。
その後、メジャー挑戦を表明していた大谷を日本ハムが一本釣り、二刀流で活躍し、いまやメジャーの大選手に成長したわけだ。
「日ハムへの入団は、“二刀流” での起用方針が決め手となりました。高卒でメジャーに行ったなら、間違いなく投手一本で育成されていたと思います」(球団関係者)
大谷の父・徹さんはリトルリーグの指導者でもあり、野球をするうえで常に3つのことを心がけるように息子に説いた。
(1)大きな声を出して元気よくプレーする
(2)一所懸命にキャッチボールを練習する
(3)最後まで全力で走る
大谷は父に教えられた基本を忠実に守り、河川敷のグラウンドでやっていた野球を、メジャーのスタジアムでも同じように実践している。
「大谷のプレーを見た子供たちが『野球っていいな』と感じる――じつはそれが大谷のいちばんの “すごさ” かもしれませんね」(前出・スポーツ紙記者)
SHOHEIは楽しい野球を世界中に見せつけているのだ。