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堂安律 「いつも笑顔のサッカー少年」が小学6年で流した “敗北の涙”
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.07.19 06:00 最終更新日:2021.07.19 06:00
開幕を目前に控えたオリンピック。開催を強行しての緊急事態宣言、各地において無観客試合の決定など、問題は山積……でも、どうせ開催されるなら、楽しまなきゃ損!
今回、本誌は東京五輪「注目アスリート」のルーキー時代を総力取材。東京五輪で “金” を狙う選手たちのことをもっと知って、応援しよう。
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五輪の内定選手一覧で「物おじしない強気な性格」と紹介されるサッカー男子・堂安律(23)。小学生時代に通った西宮サッカースクールのコーチは、当時から目立つ性格だったと語る。
「テクニックも周囲を見る能力もある、頭のいい選手。ただ頑固なだけの選手は、自分のプレーに走って『まわりは知らん』という感じだけど、彼は冷静でありながら、自分のやりたいプレーがわかっていましたね」(島崎久コーチ)
同スクールの升谷輝将コーチも、堂安のテクニックを絶賛する。
「当時から下半身が強く、当たられてもこけない選手でしたね。ボールを持ったら相手に取られなかった。ドリブルで抜けなくても、キープできる強さがありました」
持ち合わせているのは、技術だけではない。
「今も変わってないんですが、いつも笑っているんですよ。練習のときだけでなく、街中で会っても、笑顔で受け答えのできる子でした。コミュニケーション能力というのは当時からすごかったです。年下の子から慕われ、年上からは可愛がられる所以ですかね」(升谷コーチ)
3、4歳ごろから、サッカーをやっていた長兄について練習にきていたという。
「小学6年のときに、埼玉スタジアムで全国大会の決勝があったんです。サッカーでいちばんになりたいという気持ちでやっていたけど、負けてしまった。そのときの悔しそうな顔、泣きはらした顔が今も思い出に残っています。いつも笑っている子だったので、『律も泣くんやなあ』と思いましたね(笑)」
同スクールの杉田隆正会長は「ピッチを離れた堂安は、ゲームをしたりする、まさに “子供” だった」としながらも、練習に対するストイックな一面を明かす。
「いちばん印象に残っているのは、練習前からひとりでずっとリフティングをやっていたことですね。練習開始の定刻は17時ごろからでしたが、彼は16時半ぐらいに来て、リフティングをしていました」
冷静でありながら、努力を怠らない。チームを牽引する存在として、堂安は五輪に臨む。
(週刊FLASH 2021年7月27日・8月3日合併号)