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45回目の優勝を飾った白鵬…なぜ美しい横綱相撲を捨てたのか?/7月21日の話
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.07.21 10:20 最終更新日:2021.07.21 19:47
長期休場から復帰した白鵬が、進退をかけて臨んだ名古屋場所で45回目の優勝を飾った。36歳4カ月での優勝は横綱最高齢で、目標としてきた千代の富士の35歳5カ月を上回った。
ただし、14日目の大関正代戦では仕切り線から大きく離れて立ち合い、張り手を交えながらの勝利。千秋楽の大関照ノ富士戦では、立ち合いで右のかち上げをしたほか、勝利すると土俵上で大きくガッツポーズを決めた。名古屋場所が終わったいまも、物議をかもしている。
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2000年に15歳で来日し、2001年の夏場所で初優勝した白鵬が、通算勝利数1048勝目をあげ、歴代単独1位に立ったのは2017年7月21日のことだ。この大きな記録を打ち立てて以降も、圧倒的な強さで相撲界の記録を塗り替えている。
相撲ライターの西尾克洋さんが、白鵬の強さについてこう語る。
「白鵬は、まずなんと言っても立ち合いが強い。出足の速さ、強さに加えて、相手の動きを止める打撃を持っています。
さらには、対応力にも優れています。状況を判断し、最善の手を選ぶまでが速く正確です。
もともと研究熱心で出稽古にもよく足を運ぶ人ですから、対戦相手が自分と互角の力を持っていても、有利な状況に持っていくことができます。
また、今回の7月場所でも目立ちましたが、白鵬のもう一つの強さは、小兵のような相撲が取れるところです。
本来横綱であれば、いわゆる大鵬や北の湖、貴乃花のように、相手の攻めを受け止めてそれを上回るような横綱相撲を取ることが求められてきました。
しかし、白鵬は圧倒的な強さを持ちながら、かち上げや張り手、猫だましなど、あらゆる技を選択して勝ち続けてきたのです」
2007年7月場所から横綱として活躍してきた白鵬が、戦うスタイルを変え始めたのは2012年、2013年頃だったという。いったい何がきっかけだったのか。
「もともと双葉山や大鵬の系譜につらなる横綱相撲を取ってきた白鵬ですが、不調からか、2012年頃にあまり勝てない時期がありました。
それで、立ち合いでの駆け引きやかち上げなど、美しさには欠けるものの、非常に強い取り口を取るようになったのです。
ちょうどこの頃に台頭してきたのが稀勢の里です。彼が取る相撲は美しくオーソドックスで、白鵬とは対照的なところがあります。
この2人は、対戦成績としては白鵬が圧倒しているのですが、ときに白鵬が稀勢の里に完璧に負けてしまうときがありました。そこを打倒すべく戦い方を突きつめ、いまの白鵬ができあがった側面はあるでしょう」
先日の名古屋場所終了後、取材を受けた白鵬は、「これで(横綱)899勝。あと1勝で900勝。あと1勝を目指していきたい」と宣言している。
ついに36歳となった白鵬だが、まだ引退とはいかないようだ。
「白鵬は、節目節目で勝手に目標を設定し、自分を奮い立たせるのが上手です。まだ塗り替えていない記録はなにかと考えると、次の目標は最高齢の横綱になることではないでしょうか。
1958年、第43代横綱である吉葉山が37歳で引退していますから、あと1年ほどで更新できるのです。2024年にはパリオリンピックもありますし、出場宣言しかねない、と思っています」