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日本が失った水泳「幻の世界記録」五輪開催のいまこそ知っておきたい/8月6日の話

スポーツ 投稿日:2021.08.06 06:00FLASH編集部

日本が失った水泳「幻の世界記録」五輪開催のいまこそ知っておきたい/8月6日の話

幻の世界記録となった古橋広之進の自由形

 

 1948年8月6日、東京・千駄ヶ谷の神宮プールで全日本水上選手権が開催された。この日、日本大学水泳部に所属していた古橋広之進が、男子400m自由形で4分33秒4、1500m自由形で18分37秒0という、当時の世界新記録こ超えた数字をたたき出した。

 

 

 しかし、敗戦直後の日本は国際水泳連盟から除名されており、古橋の世界新記録は公認されなかった。国際社会からも、記録の真偽について「日本のプールは短いんだろう」などと疑いの目を向けられたという。

 

 国際水泳連盟に再加盟した1949年、古橋は疑惑の目をはねのけるような活躍を見せた。

 

 8月にロサンゼルスで開催された全米水泳選手権では、400m、800m、1500mの自由形すべてを世界新記録のスピードでゴール。アメリカの新聞には「ザ・フライイング・フィッシュ・オブ・フジヤマ(フジヤマのトビウオ)」との見出しが踊ったほどだ。

 

 敗戦から間もない当時の日本では、スポーツ選手が育つような環境はまったくなかった。古橋は、自身の自伝『古橋広之進 力泳三十年』(1997年)で、食糧難にあえいだ大学時代をこう振り返っている。

 

《そのころ(1946年)、食糧事情は極端にわるかった。水泳の練習をするにも、学校に通うにも、まず第一に確保しなければならないのが食糧であった。暇を見つけては、私は買出しに歩いた。(中略)何軒も何軒も頭を下げて歩いて、やっとサツマイモを分けてもらう。運よく取締りにもあわずに帰れた時はよいが、時には、運わるく取締りにあって、やっとの思いで手にいれたサツマイモを没収された時の悔しさといったらなかった。物資統制下の当時としては、闇行為なのである。

 

(中略)水泳部の合宿所には、そのころ30人ほどの部員が住んでいた。およそ1升今でいえば1.4キロの米をおかゆにして30人の部員で食べる。1人平均3勺3分(47グラム)にしかならない。米の配給基準は、1人1日2合3勺から、戦後一時期の2合1勺時代を経て、当時2合5勺(355グラム)になっていたが、遅配欠配があいつぎ、しかも代用食のイモや砂糖、魚などが配給される。米の配給は、月に10日分もあればよい方であった。私たちは、イモや麦、それに合宿所の空き地につくっていた野菜、はては食べられる野草まで一緒にナベに入れて飢えをしのいでいた》

 

 古橋の食事環境について、これまで数多くのアスリートたちの食事を管理してきた、公認スポーツ栄養士の松田幸子さんが、こう語る。

 

「スポーツとは本来、健康である状態のうえに成り立つものです。しかし、古橋さんが水泳選手として成長されていった当時の記録を見ると、健康状態を維持するのも厳しいような状況だったことがわかります。

 

 現代の水泳選手は、主食・主菜・副菜・果物・乳製品を揃えた食事を1日3食とり、そのうえで間におにぎりやバナナなどの補食をとるのが基本です。日頃のパフォーマンスをどれだけ上げていくかという視点から、体をつくるベースとなるものをたくさん食べて、選手たちは強くなっていくのです。

 

 古橋さんの記録では、主に食べていたのはさつまいもや麦、たまに米といった主食ばかりで、特にビタミン不足が気になります。糖質をエネルギーに変える役割を持つビタミンは、スポーツに必要不可欠な栄養素です。ただ、古橋さんたちは合宿所で野菜を育てるなどの工夫を取られていますね。

 

 とはいえ、この食事内容で毎日練習を重ね、世界新記録を出すというのは、並大抵のことではありません。現代の水泳選手とは体つきからして違うのではないでしょうか。古橋さんや当時の水泳選手たちは、育ち盛りである学生時代に食糧難を経験していますから、少ない食事から最大限に栄養を吸収する方向に、体がシフトしていた可能性は考えられます」

 

 自分たちでいかにやりくりするかを真剣に考え、実践していった結果が、世界新記録につながったのだ。

 

写真・時事通信

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