8月8日の閉会式をもって、17日間開催された東京五輪が閉幕した。日本は、金27個、銀14個、銅17個で、大会を通じて58個のメダルを獲得。金メダル総数、メダル総数ともに史上最多を大幅に更新する結果となり、国民は歓喜に沸いた。
しかしながら、惜しくもメダルに届かず、選手らが“悔し涙”を流した場面も。五輪の舞台で夢を見せてくれた選手たちの“涙のドラマ”を振り返ってみよう。
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白血病の治療、リハビリを乗り越えて、1度は諦めかけた五輪の大舞台に挑んだ水泳女子・池江璃花子。今大会では、8月1日、女子400メートルメドレーリレーの1人として、決勝に挑んだ。
第3泳者としてバタフライを力強く泳ぎ切ったが、結果は8位に終わった。決勝レースを終えた日本代表の4人はハグを交わし合い、池江は大粒の涙を流した。
取材エリアでは、涙の理由を「みんなで泳ぐことができて嬉しかった」とし、「この数年間は本当につらかったし、人生のどん底に突き落とされてここまで戻ってくるのはすごく大変だった」と語った池江。嬉しさのなかにも、結果には“悔しさ”がにじんでいた。
男子サッカーでは、MF久保建英は座り込んでしまうほどの号泣を見せた。
史上最強との呼び声も高かった今大会の男子サッカー日本代表。しかし、8月6日、3位決定戦で日本はメキシコに1-3で敗れ、53年ぶりのメダル獲得を逃した。メキシコの選手や主将のDF吉田麻也に手をさしのべられても、立ち上がることはできなかった久保。
「自分が決めていれば、自分がアシストしていたら、自分がPKをとっていたらと、いろんなことを考えた」と試合後の会見で語った。
男子サッカー3位決定戦と同じく8月6日に行われた陸上・男子400メートルリレーでは、日本は、第1走者の多田修平と第2走者の山縣亮太でバトンが渡らず、メダルなしに終わった。バトンミスで順位がつかなかったのは五輪では1996年のアトランタ五輪以来。
バトンミスにより走ることが叶わなかった第3走者の桐生祥秀は、テレビインタビューで「日本の国旗をこの舞台で掲げたかったのは正直思っている。攻めてこういう結果なのは誰も悪くない。予選でもっと速く走っていれば、多田とか山縣さんも心の余裕を持てた。トップで走る姿で帰ってきたい。いろんな応援してくれる人の期待を裏切った」と悔しさをにじませた。
“最後の大舞台”で涙を見せたのは、8月8日に行われた陸上・マラソンの大迫傑。
30歳を迎え、今大会をラストレースと表明した大迫は、2時間10分41秒で6位だった。粘りの走りを見せたが、大迫はゴール後に男泣き。
「前を追ったが、縮まらず、6位で粘り切ろうと思った。次の世代は6位からメダル争いに絡めると思う」と汗と涙をタオルで覆いながら、感慨深く話した。ここまでの競技人生については「100点満点の頑張りができた」と言い切った。
惜しくもメダルに届かなかった日本代表の選手たち。しかし、これからのオリンピックに出場する選手たちに、“メダルへの夢”をつなげてくれたことは間違いない。