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14試合ぶり本塁打の大谷翔平、「不調」はねのけた幼少期からのストイック過ぎる姿勢

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.08.13 06:00 最終更新日:2021.08.13 06:00

14試合ぶり本塁打の大谷翔平、「不調」はねのけた幼少期からのストイック過ぎる姿勢

写真・USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 

 現地時間8月11日、エンゼルス大谷翔平(27)が、14試合ぶりとなる38号同点2ランを放った。

 

 大谷は3打数1安打2打点で打率.267。打点を「84」とし、リーグ2位タイとなった。現地時間12日の4戦目は7勝目をかけ、今季17度目の先発マウンドに上がる。

 

「現地の記者、ニュース番組のキャスターも、『打球音が爽快過ぎる』と絶賛していました。不調気味であった大谷の“さらなる快進撃”の始まりを告げるようなホームランでした」(スポーツ雑誌ライター)

 

 全米から喝采を浴びる大谷の“原点”を、本誌はこれまで取材していた。

 

 

■リトルリーグ時代から120キロを出していた

 

 遡ること2009年、甲子園に “花巻東旋風” が巻き起こっていた。エース・菊池雄星の活躍を、中学生の大谷翔平はテレビで見ていた。2人を指導した花巻東高校野球部の佐々木洋監督はかつて、次のように語っていた。

 

「雄星たちの野球を、中学生の大谷が見たことは大きかったと思います。岩手が野球で熱狂し、こんなにもみんながひとつになるんだと感じたわけです。あれがなかったら、大谷は他県の高校に行っていたかもしれない。すべては巡り合わせだったと思います」

 

 父親は野球、母親はバドミントンというスポーツ一家で育った大谷は、小学3年生のとき、岩手県の水沢リトルリーグで本格的に野球を始めた。当時のチームメイトが、打者だけでなく、投手としてもすぐに頭角を現した大谷との思い出を語っていた。

 

「球速100キロで速球派とされるリトルリーグで、すでに120キロを出していました。僕たちとボウリングに行っても、絶対に球の穴に指を入れませんでしたね。当時から、投手にとって指先を大事にする意識は高かったんだと思います」

 

 大谷は2007年の東北大会準決勝では規定の6回18アウトのうち、17アウトを三振で奪うという快投を見せている。メジャー入り後、7回1安打無失点12奪三振の好投を見せたとき、記者が「人生でいちばんの投球か?」と聞くと、大谷は笑みを浮かべて、「人生でいちばんは小学生くらいのときでした」と答えている。

 

 野球の素質は飛び抜けていたが、それ以外はいたって普通の少年だった。

 

「チャーミングな笑顔は、子供のころからそのままですね。チームメイトのお母さんたちからも可愛がられていましたし、当時から母性本能をくすぐるものがあったんでしょうね(笑)。野球が上手くてもけっして天狗にならず、ベンチでも休むことなくいつも大声で応援していました。勉強も手を抜かず、成績は優秀でしたよ」(同前)

 

■高校時代の「81の目標」をほぼ全て制覇

 

 高校時代の大谷は、2年の夏、3年の春と2度、甲子園に出場。花巻東高校野球部に入部した新入生は、1年めの冬に「目標設定シート」を書く。将来への目標を81のマスのなかに書いていくのだ。

 

 大谷のシートの中央に書かれているのは『ドラ1 8球団』という文字。高校3年のとき「メジャーに挑戦したい」と表明したことで、大谷の指名は日本ハム1球団のみだったが、もし表明しなかったら、その実力、将来性を考えれば、8球団、いやそれ以上の指名があっても不思議ではなかった。

 

 シートには、野球に関する目標が多く書かれている。『体重増加』に関しては、メジャーデビュー時の97キロから、現在の体重は本人いわく102キロ。『体幹強化』も、二の腕の太さや太腿の張りを見れば一目瞭然だ。『フォーク完成』も現在、メジャーリーグで被打率がもっとも低いのが、大谷のフォークなのだ。

 

 また、プレー以外の面についても記述が。『審判さんへの態度』『あいさつ』は、もはや日常的。打席に入る際は必ず帽子に手を当て、球審に挨拶する。そして、『ゴミ拾い』。毎打席、バッターボックスに入ると、ホームベース上をチェック。本来、ゴミが落ちていれば拾うのは球審の仕事だが、大谷は自然に拾ってしまう。これは現地でも「一流のアスリート」として絶賛されている。

 

 大谷は、81の目標を、ほぼ全て制覇している。ストイックな精神を培ったリトルリーグ時代、目標を着実にこなしていく姿勢を磨いた高校時代の経験が生んだ自信が、不調をはねのけ、14試合ぶりの本塁打につながったのかもしれない。

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