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軍事政権に抗議で「難民認定」ミャンマー代表GK「2DKでルームシェア」不安と希望の日本生活

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.08.23 06:00 最終更新日:2021.08.23 06:00

軍事政権に抗議で「難民認定」ミャンマー代表GK「2DKでルームシェア」不安と希望の日本生活

来日前は自身もデモに参加し、国軍に催涙弾を撃たれたことがあるという

 

「今は、難民申請が許可されるという報告を聞いて安心しています。認定されれば日本での在留資格がもらえ、働くことも可能ですからね」

 

 そう笑みを浮かべるのは、5月28日におこなわれたサッカーW杯アジア2次予選の日本代表戦の国家斉唱時に、母国ミャンマーの軍事政権への抗議を意味する「3本指」を掲げたミャンマー代表のGKピエリアンアウン(26)。

 

 

 本来、彼は2次予選最終戦となった6月15日のタジキスタン戦(大阪)の翌日に、関西国際空港から帰国する予定だった。しかし、今年2月に勃発した軍事クーデター以降、ミャンマーは国軍の統制下にあり、軍への反対姿勢を示したとなれば逮捕、拷問されてもおかしくはない。それも承知のうえで抗議行動に出た彼は、「国に戻れば命の危険もある」と周囲に説得されて、日本政府に保護を求めていた。

 

 8月20日に難民認定される2日前、ピエリアンアウンは独占インタビューに応じてくれた。同郷のルームメイトと暮らす2DKのアパートを訪ねると、彼は朝食中だった。練習後で空腹だといい、カップラーメンを2つ平らげ、残ったスープにご飯を入れ、雑炊にして完食。部屋の外にはサッカーシャツやソックスが干され、寝室には愛用のGKグローブが置かれていた。

 

 ピエリアンアウンは現在、民間団体・日本ビルマ救援センターの支援を受けながら横浜に居を定め、Jリーグ(J3)のY.S.C.C.横浜の練習生として同クラブのフットサルチームでプレーする。毎朝4時半に起床し、6時からの練習に通う日々だという。

 

「ミャンマーと比べれば、J3とはいえレベルは高いです。ただフットサルでは、サッカーほどのレベルの差は感じません。ミャンマーが平和になれば帰るつもりですが、ミャンマーサッカー連盟の恨みを買った自分が、母国でサッカー選手としてプレーするのは難しいでしょう。日本でプロ選手としてプレーできれば嬉しいですが、将来は日本で学んだことを生かしてミャンマーの子供たちを指導する仕事ができればと思っています」

 

 ミャンマーはアジアのなかでも貧しい国として知られ、国民の平均月収は2万円程度とされる。サッカー選手といえども生活はけっして楽ではなく、ピエリアンアウンも大金を抱えて日本にとどまったわけではない。それでも、現状に何も不満はないと言う。

 

「ミャンマーのことは恋しいですし、日本での生活や言葉、文化の違いに戸惑うことはあります。ただ、チームのスタッフや仲間は家族のように親切にしてくれますし、新しい部屋も住みやすい。ミャンマーにいる友人とはSNSでメッセージのやり取りはしていますし、家族も一時は国軍に監視されていましたが、無事を確認しています」

 

 ピエリアンアウンはなぜ危険を冒してまで、国軍への抗議をおこなったのか。彼は国軍がデモ参加者に対して発砲を繰り返している現状を、ただ指をくわえて見ていることができなかったという。そして約1000人が殺され、5000人以上が拘束されているなど、ミャンマー国民が不当な迫害を受けている事実を世界中の人に知ってほしかったと強調する。

 

「軍はデモに参加する国民を容赦なく殺し、私のサッカー仲間も殺されました。でも、ミャンマー国内では、どこに通報したらいいかわからない。それで、私は日本との試合で3本の指を立てることにしました。なぜなら、日本戦は多くのメディアが来て、テレビ放送もされると聞いたからです。そうすれば、日本政府や日本国民に気づいてもらえる。モンゴルやキルギスとの試合でやっても、誰も注目してくれませんから」

 

 ピエリアンアウンは試合会場に向かうバスの中で、指に「WE NEED JUSTICE(私たちには正義が必要だ)」と書き記すと、控えGKである自分を含め、国歌斉唱時に選手一人ひとりの姿が大型スクリーンにアップで映し出されることに気づき、自分が映るのを待って3本の指を掲げた。

 

「チームメイトの多くは気を遣ってか何も言いませんでしたが、冗談で『刑務所に入っても差し入れはしないからな』と言ってくる選手もいました。ただ、監督やスタッフからは『二度と同じことをやるな』と強く言われました。人づてに、サッカー連盟会長が『帰国しても逮捕はしないから帰ってこい』と言っていると聞きましたが、鵜呑みにすることはできませんでした」

 

 当初はチームと一緒に帰国する覚悟もあったが、我が身を案じ、チームを離れるチャンスを窺った。

 

「ホテルの部屋の外には警備の人間がいて、ほかのフロアに行くことはできませんでした。最初は15日のタジキスタン戦後の夕食の際にホテルを抜け出そうと試みましたが、チームスタッフに見つかってしまいました。翌日は警備が厳しくなり、もう帰国するしかないと諦めたときもありました。ただ、空港のイミグレーション(出入国審査カウンター)で一人になった際に帰国しない旨を伝え、なんとか日本に残ることができました」

 

 ぎりぎりでの脱出劇。その際に、外部との連絡に使用したスマホは、チームに気づかれないように支援者から受け取っていたものだったという。

 

 日本に残った時点で、今後のことは白紙だった。もしJリーグやF(フットサル)リーグでプレーするようなことになれば、初めての難民選手となるが、現実的にそのハードルは低くない。

 

「3本指を掲げたことに後悔はないですし、正義の姿勢を取ったことは誇れるもの。サッカーは仕事であり、趣味でもあります。サッカーをしている時間は不安なことを忘れることができますが、(選手として)だめなら別の仕事を探すことになると思います」

 

 サッカー選手としての将来は実力次第だが、彼に明るい未来があることを願うばかりだ。

 

取材&文・栗原正夫

 

(週刊FLASH 2021年9月7日号)

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