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斎藤佑樹が引退…獲得タイトルは「流行語大賞」2回だけでも11年間生き残れたワケ

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.10.01 19:00 最終更新日:2021.10.01 19:03

斎藤佑樹が引退…獲得タイトルは「流行語大賞」2回だけでも11年間生き残れたワケ

斎藤佑樹(左)と栗山監督(2012年)

 

 10月1日、北海道日本ハムファイターズ斎藤佑樹投手の引退を発表した。早稲田実業高校では、2006年に春夏連続で甲子園に出場。夏の決勝戦では駒大苫小牧高校と激突し、田中将大(現・東北楽天)と投げ合った。決着がつかず、37年ぶりの決勝再試合がおこなわれた末に優勝投手となった。

 

 

 甲子園では、青いハンカチを手に汗を拭う姿が話題を呼び、いつしか「ハンカチ王子」の愛称が定着。この言葉は、2006年の新語・流行語大賞でトップテン入りを果たす。

 

 早稲田大学進学後もエースとしてマウンドに立ち続けた斎藤は、4年時のリーグ優勝決定戦でも勝利投手を達成。アマチュア生活に有終の美を飾った。このときのインタビューで「いろんな人から斎藤は何か持ってると言われ続けてきました。今日、何を持っているのか確信しました。それは、仲間です」と語り、2010年の新語・流行語大賞の特別賞を受賞した。

 

 2010年のドラフト会議で4球団競合の末、日本ハムに1位入団。ルーキーイヤーに6勝をあげると、2年目には開幕投手に抜擢された。西武ライオンズ相手に1失点完投勝利をおさめるなど、順調な滑りだしだった。しかし、シーズンオフに「右肩関節唇(かんせつしん)」の損傷が判明し、それ以降、活躍の場は大きく減ってしまう。2020年には右ヒジ靭帯を断裂し、さらに制限がかかった。

 

 それでも11年間プロの世界で生きてこられた陰に、日ハム・栗山英樹監督の存在がある。プロ野球に詳しいスポーツ記者が語る。

 

「斎藤が開幕戦で完投勝ちした2012年は、栗山監督が指揮官に就任して1年目です。つまり、斎藤の完投勝利は栗山監督にとっての1勝目だったんです。斎藤はその日のヒーローインタビューでも『(チームを)背負ってます』と語り、話題になりました。

 

 まだ就任1年目の栗山監督にとって、相当心強い存在だったと思います。この年は、ダルビッシュ有(現・パドレス)がメジャーに移籍し、戦力的に不安が残るシーズンでした。しかし、最終的にはリーグ優勝を果たしています。

 

 斎藤はなかなか結果を残せませんでしたが、栗山監督はチームに置き続けました。正直、ケガをしてからの成績を見ると、戦力外かトレードの駒として退団していてもおかしくありません。

 

 それなのに、2019年のシーズン開幕当初は『オープナー』としてチャンスを与えています。オープナーとは、リリーフピッチャーをゲームの初回から起用し、打者が一巡したところで先発ピッチャーにマウンドを渡す起用法です。長いイニングが難しくても、2回ほどだったら本来の投球をしてくれるだろうと考えたのでしょう。

 

 また、実力はともかく、斎藤の人気は非常に高かったのは間違いありません。観客動員やグッズ販売による収益は大きく、球団運営の支えになったはずです。斎藤の年俸は、2021年シーズンで推定1250万円でした。この額なら、十分黒字が見込める選手と言えます。栗山監督や球団にとって、斎藤は普通の選手ではなかったのです」

 

 結局、ルーキーイヤーがキャリアハイとなった斎藤は、タイトルはおろか、通算成績15勝26敗という成績でプロ生活を終えることになった。ツイッターでは、

 

《遂に引退かぁ 高校生のピッチングが全盛期だったのかもしれないし、何かが合わなかったのかもしれない 11年間お疲れさまでした。夢をありがとう》

 

《斎藤佑樹のドラフト会議ワクワクしながら観てたの懐かしいな》

 

《プロの世界で10年もやってきた人やし、その経験を生かしてどっかの高校の監督やってもう一度甲子園目指してほしい》

 

 などと引退を惜しむ声があがっている。

 

 栗山監督は斎藤の引退について「ああいう立場でプロに入ってきて本当に苦しかったと思うし、大変だったと思う。苦しみながら、泥だらけになっても絶対あきらめないで必死にもがき、自分を信じて前に進む姿を見せる責任があると思っていた。最後までそれをやったことは、俺は一生忘れない」とコメントしている。

 

 華々しいアマチュア野球とは一転、プロの世界で翻弄され続けた斎藤。ハンカチ王子はこれから、どんなセカンドキャリアを歩むのだろうか。

 

写真・時事通信

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