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ブッチャーもハンセンもホーガンも…伝説の外国人レスラー「素を見せた一瞬」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.01.29 06:00 最終更新日:2022.01.29 06:00
今年は新日本プロレスと全日本プロレスがともに旗揚げ50周年を迎える歴史的な年だ。プロレスといえば迫力ある攻防や華麗なコスチュームが楽しみのひとつだが、忘れてはならないのが “外国人レスラー” の存在。
今回、少年時代から多くの個性派レスラーを撮影してきたプロレスカメラマンの大川昇氏(54)が、昭和の “超人” たちの封印されていたプライベート写真とともに素顔を明かした。
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まず紹介するのは1971年2月に初来日して以来、 “千の顔を持つ男” の異名を持ち、試合ごとに異なるマスクとコスチュームでファンの度肝を抜いたミル・マスカラス。
「昨年、旭日双光章を受章しましたが、素顔もじつに親日家です。来日すると必ず浅草で神社仏閣巡りをして、自身のマスク用に着物の生地を物色しています。日本人よりも日本文化に精通しているのではないでしょうか。
絵を描くことも趣味のひとつで、自宅のトレーニングルームの片隅にアトリエを構え、マスクやコスチュームのデザインを考えることもしばしばです」(大川氏・以下同)
かつて力道山と死闘を繰り広げたのが、“白覆面の魔王” ことザ・デストロイヤーだ。その後は、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスのリングに上がり、バラエティ番組(『噂のチャンネル!!』)にも出演して、タレントとしても活躍した。プロレス技の代名詞ともいえる足四の字固めを日本に広めたレスラーでもある。
白いマスクは当初、女性用のガードルを改造して奥さんが作っていたというのは有名なエピソードだ。
「とにかく優しい方でした。引退後も夏になると、当時住んでいた麻布十番の祭りに参加し、自らグッズを売る姿は夏の風物詩でした」
■ホテルにファンが殺到 まるでサイン会場
外国人レスラーというより、アイドルレスラーとしてファンに愛されたのがテリー・ファンクだ。全日本プロレスでは、兄のドリー・ファンク・ジュニアとザ・ファンクスとして活躍。1983年夏に一度引退(後に現役復帰)したが、その直前のテリーフィーバーはすさまじいものがあった。
「私がプロレスを観るきっかけにもなった永遠のヒーローです。子供のころ、テリーさんの滞在するホテルに行ってサインをもらったり、写真を撮らせてもらいましたが、多くのファンでホテルのロビーはサイン会場のようでした。テリーさんは一人ひとりにサインを書くだけではなくメッセージも添えてくれました」
また、若い女性たちによる親衛隊が存在していたほどで、その人気ぶりはまさにアイドル級だった。
そんなテリー・ファンクを凶器攻撃で徹底的に痛めつけた悪役レスラーといえば、アブドーラ・ザ・ブッチャーだ。スキンヘッドの額に深く刻まれた傷は、悪役レスラーとしての誇りにすら思える。その一方で、日本のテレビCMや映画にも出演し、チャーミングな一面を見せるなど、日本で最も知名度の高い外国人レスラーではないだろうか。
「リングの上で相手の腕や額にフォークを突き刺すショッキングなシーンを見せていましたが、額の傷にお札を差してポーズを取るなどお茶目な一面があり、サービス精神の塊でした。
また、リングを下りると紳士で、来日すると若いレスラーに常々、“親を大切にしなさい” “親を尊敬しなさい” といったことを話しかけていた姿を何度も見たことがあります」