■刃傷沙汰の喧嘩……多くの六本木武勇伝
長いカーリーヘアをなびかせてチェーンを振り回し、雄叫びを上げて観客を蹴散らすようにして入場する姿が印象的だったブルーザー・ブロディ。 “超獣” の異名とともに、古舘伊知郎氏は “インテリジェンスモンスター” と命名。
これは、ブロディがレスラーになる前は、新聞記者であったからという理由である。
「多くの外国人レスラーは、自分をアピールするために積極的に写真を撮らせてくれます。
しかし、ブロディの場合は、撮らせてくれるポーズはワンポーズのみ。しかも目線をくれるのは一瞬だったりと、一発勝負を仕掛けられている気分でした。
こちらがシャッターを押したのを確認すると、 “終わりだ!” という雰囲気を醸し出す……自分を安売りしない選手でしたね」
プロレス技の代名詞のひとつ、ウエスタンラリアットの先駆者であり、日本で最も成功した外国人レスラーの一人がスタン・ハンセンだ。 “ブレーキの壊れたダンプカー” の異名で知られ、新日本プロレスではアントニオ猪木と、全日本プロレスではジャイアント馬場と死闘を繰り広げた。
一方で、試合前の控室では眼鏡をかけて新聞を読んでいる物静かな性格だったという。
「現役時代、マスコミに対して必要以上にコメントを出すことがなく、あまり接点はありませんでした。しかし、現役引退後に何度か撮影をしましたが、いつもニコニコしていて、こんなにフレンドリーだったのかと驚きました」
筋骨隆々の体に独特なヘアスタイル、顔にはペイントという出で立ちで登場して、対戦相手をボコボコにしてあっという間に去っていく……そんな試合スタイルで一世を風靡したのは、ホーク・ウォリアーとアニマル・ウォリアーによるザ・ロード・ウォリアーズである。
1985年3月におこなわれた初来日の記者会見では、プロレスマスコミだけではなく一般週刊誌などのマスコミも大挙押しかけて社会現象にもなった。その来日時、夜な夜な繰り出したのが六本木。そこでもさまざまなエピソードを残している。
「当時の外国人レスラーと六本木は切っても切れないというか、シリーズのオフ日には誰かしらに遭遇したといわれ、プライベートの彼らを垣間見られる場所でした。
とくにホークは六本木での武勇伝を数多く残していて、酔ってタクシーを持ち上げたとか、刃傷沙汰の喧嘩をしたとか……信じるか信じないかは別として多くの伝説を残しています」