キャンプが始まった今も、注目の的はやはり新庄剛志新監督(50)。指揮官としてどんな野球をするのか。彼と縁(ゆかり)のある者だけが知る素顔をもとに、 “ビッグボス” の正体に迫る――。
30年以上親交のある元芸人・インタビューマン山下氏(53)がこう語る。
「最初にお会いしたのは、僕が渡辺あつむとジャリズムを組んでいた当時ですから、1990年代。第一印象そのままに気さくな人でした。そこからつき合いが続いて、僕が上京してからは、新庄さんが東京で試合のあるときはよくご飯を食べに行きました。コンパ的な飲み会もしましたよ。
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『今日、女のコと遊ぶけど、しげちゃん(山下氏)来ない?』って連絡が来るんです。当時、新庄さんは独身で、お酒はほぼ下戸なんだけど、女のコがいっぱいいる場所は好き(笑)。
『俺、酒飲まないけど今日は酔っ払ってるよ……君にね』みたいな下手な冗談を言って、『しょ~もないこと言うな』って、僕が突っ込んでたんですが、何かうまいことを言おうと頑張るんですよ(笑)。
シモネタもしょっちゅう。でもね、いつも場の雰囲気は大切にしていました。抜け駆けで、女のコと消えるなんてことはなかった。後日、行ってたかどうかまではわからないですが(笑)。
そんな彼がいきなり監督ですから驚きましたよ。いろいろ楽しませてくれますが、新庄さんはマスコミに対してリップサービスしすぎるところがあるから、マネージャーさんはただただ大変だと思う。野放しにしたら無茶苦茶しますから、生放送がいちばん怖いってマネージャーさんは言っていました(笑)」
続いて、小学生時代に野球を教えた長丘ファイターズコーチ・現監督の植木和生氏(76)の証言。
「小学校4年生で遠投は70~80mは投げていましたよ。まさかプロに行くとは思わなかったけど、足も速くて小学校からスーパースターでした。じつはサッカー少年でしたが、当時は近所に強いサッカーチームがなかった。
それでよくソフトボールに誘われて、大人でも打てないような速球をウインドミルで投げていました。一日に4~5試合投げることもあり当然、肘や肩も痛くなる。準決勝や決勝では泣きながら投げていました。
それでもお父さんが『腕が折れてもいいから投げろ!』と。野球に関しては厳しかった方ですね。決勝で負けて泣いていたので、『そんなに悔しいなら野球をやるか。明日までに9人揃えたらチームを作ってやる』って声をかけたんです。
すると、翌日に本当に9人揃えてきましたよ。チームの名前を考え、ユニホームのデザインも新庄が考案したんです」
西日本短大附高の同級生・現監督の西村慎太郎氏(50)はどう見ていたのか。
「入部当初からすべてがすごかったんですが、とくに肩の強さは飛び抜けていました。ウチのグラウンドは両翼90mくらいあり、遠投で新庄がホームベースから投げると軽くネットを越えてしまう。
それだと危ないので、彼だけバックスクリーンに向かって投げるんですが、120mの距離をダイレクトでぶち当てた。しかも山なりの球じゃない。すごい音がしてバックスクリーンの上のほうが割れましたから。
僕はサードでしたが、センターの彼からの返球はとにかく怖かった。普通ならショートバウンドになるような返球が、そこから伸び上がってきました。
当時のウチの練習は過酷そのもの。放課後、夕方4時に始まって、終わるのは夜中の12時ですよ(笑)。それから食事して、同室の先輩の洗濯など雑用をこなすと1時を過ぎる。翌日の授業は、目を開けているのが精いっぱいでした。
でも新庄は雑用を終えると、一人2時、3時までバットを振っていました。寮のみんなで巨人戦を見ていたときのことですが、桑田(真澄)さんが投げていて、『さすがのコントロールだな』みたいなことを話していたんです。ところが新庄だけは、桑田さんの投球に合わせて素振りをしていたんです。そんなやついませんよ。
僕らはなんとか甲子園に出たいと頑張っていましたが、彼だけは違う景色を見ていた。また、運動部の男子寮の部屋となれば、汚い、臭いが当たり前。でも、新庄の部屋だけはいつもキチンと整頓されていて、『これが球児の部屋か!』って驚いたことを覚えています(笑)」
元阪神投手で、「炭火焼肉 伸」店主・中込伸氏(51)はこう語る。
「よく一緒に麻雀を打ったけど、アイツはいつも役満狙い。勝負師かもしれないけど、勝負には勝ててなかった(笑)。
彼が阪神残留か移籍かで騒がれたときも麻雀を打っていたら、僕がつけていた背番号1を『ください』と言ってきたんです。僕は1番に愛着はなかったし、『阪神に残るならあげるよ』と言いました。
それで、球団にも『新庄に1番をあげてください』と伝えたんですが、そうしたら『メッツに行きます』ですからね。『なんじゃそりゃあ、俺は背番号を変えたのに』となりましたよ(笑)。本当、無茶苦茶ですよね。
ただ、彼は僕に対してよく気を遣ってくれた。優しい言葉しか出てこなかったから。僕のことは褒めて伸ばすタイプだと思っていたんじゃないかな。
彼のなかでは、この人はこう……みたいな持論があるんでしょうね。そんな彼が監督に。彼の発想はおもしろいし、優勝は狙わないと言いましたが、じつは虎視眈々と準備していると思う。
今のスタイルを貫いたら、パ・リーグだけでなく野球界も変わるはず。野球はショーでもありますから。応援に行く? それよりもウチの店のオリジナルTシャツを着て、宣伝してほしい。『ダサいからイヤだ』と言われそうだけど。『僕は遠くから応援しています』と書いてください(笑)」
写真・共同通信