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新庄剛志、阪神入団6年めに起きた “引退宣言” の真相/関係者が明かした “BIG BOSS” 秘話

スポーツ 投稿日:2022.02.11 06:00FLASH編集部

新庄剛志、阪神入団6年めに起きた “引退宣言” の真相/関係者が明かした “BIG BOSS” 秘話

ポーズを取る新庄

 

 キャンプが始まった今も、注目の的はやはり新庄剛志監督(50)。指揮官としてどんな野球をするのか。彼と縁(ゆかり)のある者だけが知る素顔をもとに、 “ビッグボス” の正体に迫る――。

 

 元阪神で、現在、リサイクルショップ経営者の広沢好輝氏(50)がこう語る。

 

 

「僕がヤクルトから1996年に阪神に移籍して以来のつき合いですね。今でも交流は続いています。同年代ということで、お互いなんとなく知っていたんですよね。

 

 ただ、阪神のトップスターだったんで、僕からは歩み寄れんでしたわ。新庄から声をかけてきてくれたんかな、確か。僕がテスト生だったので『ご飯に行こうよ』と誘ってくれたんだと思います。

 

 その場には川藤(幸三)さんもいて、僕は初対面でしたから大人しくしていましたよ。新庄は川藤さんから『新公』と呼ばれていました。食事の席で、『新公、お前はなぁ〜』って “川藤節” が始まってね。新庄は大人しく聞いているふりをして、『はいはい、は〜い』と受け流す(笑)。そこから新庄とは仲よくなりましたね。

 

 新庄がメジャーに挑戦したときも一緒について行きました。

 

 現地で彼が『ハンバーガーが食べたい』と言いだし、僕が買いに行くことになって『何がいい?』と聞いたら、『てりやき!』と。それで『ツー・テリヤキバーガー』と店員に伝えたら『WHAT!?』ってなりまして。考えてみたら、てりやきは日本食ですよね(笑)。

 

 仕方なく普通のハンバーガーを買いましたが、本当、アメリカに行くとあの味が恋しくなるんですよ。新庄も甘辛い醤油味が食べたかったんでしょう。

 

 監督就任後はまだ会っていません。テレビ出演も忙しいでしょうし、本職の戦略作りとか、シミュレーションとかやっていると思うんで、時間がないんとちゃいますかね。

 

 今は “監督業” の立場でみんなのために、ファンのために、野球界のためにと率先して骨を折っているところでしょう」

 

 ヤクルト時代に対戦したギャオス内藤氏(53)はどう見ているのか。

 

「天才ですから、彼は。この言葉がいいかどうかはわかりませんが、今回は “部外者” が監督になってしまったんですよ。タレント業をやっていたし、本来なら15年間も野球から離れていた人ができる職業じゃないと思います。でも、球団が許した。

 

 彼にはいろんな情報があるじゃないですか。彼女が何人もいるとか、顔を整形しているとか。でも何をやっても損にならない。彼には自由にやってほしいし、新たな球界を作ってほしいですね。

 

 おもしろくないと感じている先輩方もいるかもしれませんし、ノムさん(野村克也氏)ならボロクソ言ったと思います(笑)。でも、独自の監督像を作っていくのかなとも思う。

 

いろいろ言われますが、こと野球に関しては、バカがつくほど真面目。それはあの体つきを見ればわかるじゃないですか。並大抵の努力じゃ、あそこまで強気になれませんし。練習と遊びのメリハリをきっちりつけている結果でもあると思いますね。

 

 現役時代に忘れられない対戦があります。データでは引っ張り専門で、チームバッティングよりも自分のことを優先するということでした。

 

 僕はスライダーとフォークの投手だったので、内角を意識させて最後は外のスライダーで内野ゴロに抑えられると思った。ところが、僕のイメージどおりのスライダーを逆方向にきれいに打ち返された。その瞬間、『なんだよ、チームバッティングもできるのか』と。当たり前のことを当たり前にやる選手でしたね。

 

 まあ、新庄監督は楽しみでしかない。正直『俺より先にやるんかい!』といった気持ちはありますよ。彼は修正がうまいから、負けが込んでも自分を見失わずにやっていくと思います。投手コーチとして組んでみたい? ないです。キャラが被りますから(笑)」

 

 一方、阪神時代の担当記者A氏はこう話す。

 

「阪神時代で忘れられないのが、彼の入団6年めのオフに起きた “引退宣言” でした。

 

 このシーズンの新庄は、やる気が薄れていたというか、元気がなかった。足首を痛めたこともあり、二軍落ちを経験していた。練習にもたびたび遅刻してきて、球団から厳重注意を受けていたんです。

 

 そしてある日の二軍練習が始まったとき、新庄の姿がなかった。『また遅刻か!』と怒る首脳陣でしたが、じつは足首の怪我もあって室内練習場でトレーニングをしていたんです。

 

 ところが、当時二軍監督だった藤田平さんには伝わっておらず、グラウンドの真ん中で正座することを命じられました。それは1時間にも及び、どんな理由があるにせよ、足首を痛めている選手にやらせていいのかと思いました。

 

 そのときの新庄の表情は、本当に “無” というか……。そこで彼は、相当傷ついたと思いますね。だからこそ、オフの “引退宣言” に繋がったと思います。

 

その後、宣言は撤回されましたが、あの時点で阪神との関係は、事実上切れたのではないでしょうか。その後、阪神からの高額オファーを蹴ってメッツに行ったわけですから。僕も渡米して彼を取材しましたが、そのときの表情は阪神時代と打って変わって、野球少年そのものでした」

 

 新庄を撮影したカメラマン・ジジ氏(60)はこう証言する。

 

「2001年、メッツ入団のため、明日渡米するというときに、ニコニコ顔で撮影現場に来てくれたわけ。理由を聞くと茶目っ気たっぷりに『このジーンズ、上下で3000円なんですよ』と。

 

 初めはシャレだと思ったけど、確かに高そうには見えなかったよ。わざと安い洋服で来たんだと思う。スポーツ選手は見栄っ張りが多いけど、珍しい存在だったよね。撮影自体を楽しもう、という気持ちが強かったんじゃないかな。

 

 シャッターを押す際、助手がストロボの発光具合をチェックして『OKです』と合図するんだけど、撮るたびに新庄は『OK』と、助手を真似していた(笑)。

 

 撮られるだけじゃなく、撮る側にも興味を持っていた。人からの見られ方は、自分で作っていくタイプ。アーティストに多くて、中森明菜がそうだったね。野球選手はおしゃれが多いけど、流行のものを着ている。でも新庄は流行ではなく、自分が興味のあるもの、安くても自分がいいと思うものを選んでいたんじゃないかな」

 

写真・ジジ

 

( 週刊FLASH 2022年2月22日号 )

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