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スキージャンプ・中村直幹「報酬は月38000円。とにかく薄給(笑)」 オフには小林陵侑&高梨沙羅としこたま飲んでストレス発散!
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.02.15 16:00 最終更新日:2022.02.15 17:52
北京オリンピック、スキージャンプ競技の最終種目となる男子団体が2月14日におこなわれ、日本はエース・小林陵侑がK点を大きく超える大ジャンプを2本揃えるなど上位陣に食らいついたが、惜しくも5位。ソチ大会以来8年ぶりとなる団体でのメダル獲得とはならなかったが、若い選手たちの奮闘に、日本中のファンは大きな拍手を送った。
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その男子団体で2番手を務め、2本ともガッツポーズが飛び出す納得のジャンプを見せたのが中村直幹だ。個人ではノーマルヒルで38位、ラージヒルで29位という結果だった。男子団体を終えたばかりの中村が、本誌にコメントを寄せてくれた。
「地力不足を感じました。1本(いい記録を)出したいときに、いいジャンプをする力がなかった。ノーマルヒルの練習ラウンドでうまく飛べないと感じていたことから、少し自信を失っていたのかもしれません。ただ今回、たくさんのことを学びましたし、負けないでリベンジしてやろうと思います」(中村直幹、以下同)
そう雪辱を誓う中村だが、一方で競技以外では、北京での滞在を満喫したようだ。
「中国の皆さんはめっちゃ優しかったです。思いやりもあるし、困ったら助けてくれるし。ご飯は合うもの、合わないものがありましたが、もっと中華料理を食べたかったですね。北京ダックは美味しかったです。ただ、気温がマイナス20度の日もあったので、暖房が切れてしまうと寒かったですね(笑)」
小林陵侑がノーマルヒルで金メダルを獲得した2月6日には、兄・小林潤志郎とともに陵侑を担ぎ上げた中村。陵侑とは同級生で、W杯遠征ではいつも同室だという。
「移動先のホテルに着くたびに、2人ともドシャーっとバッグの中身をベッドにぶちまけるタイプで、不思議と波長が合うので、遠征先ではお互いまったく気兼ねしません。陵侑はパンダにはまっていて、部屋で動画を見ながら『チョーかわいい。生まれてきたときから勝ち組じゃん』とか言ってなごんでいます(笑)。
2人ともクロスカントリースキーが好きで、よく一緒に行くんです。そんなとき、陵侑とは『あの山のデカさ、やばくね?』とか、途中のレストランで食事しながら『明日試合じゃなきゃ、絶対ビール飲んでるなー』とか、くだらない話をしています(笑)」
屈託なく話すその明るいキャラクターは、メダル争いの緊張感に晒されていた“盟友”小林をリラックスさせる重要な役割を果たしたのだろう。
そんな中村の競技人生は波乱万丈だ。中村は、東海大学四高(現・東海大学付属札幌高)から東海大に進学。2017年のユニバーシアード(カザフスタン・アルマトイ大会)で個人金メダルに輝くなど実績を残し、大学卒業時には、スキージャンプの実業団から声がかかった。
「最終面接が終わったらよろしく、という状態まで進んでいたんです。でもその後、『方針が変わった』と言われて入社が白紙に。いきなり“ニート状態”になってしまいました」
失意のなか、W杯メンバーに選出され欧州を転戦することになった中村のよりどころとなったのは、意外にも「投資」だった。
「どうやったらスキージャンプ競技を続けられるかを考えたら、自分で遠征費用などを作るしかない、と。大学を卒業した年に、なんとか遠征費の半年ぶんを賄えるくらいに殖やせたので、『このお金がなくなるまではスキージャンプを続けよう』と腹をくくりました」
さらにシーズンが始まる前には、拠点である札幌でビジネスマンが集まるイベントにひたすら顔を出して、100件以上の企業に自分を「プレゼン」した。徐々に協力者を増やしてW杯の遠征費用を捻出し、“自腹”でヨーロッパを転戦している。
2019年11月には、札幌に株式会社フライングラボラトリーを設立。その代表取締役社長に就任し、いつしかファンからは「起業家ジャンパー」と呼ばれるようになった。
「W杯でもらった賞金も全部会社に入れています。とにかく会社の存続が、僕がスキージャンプ選手を続けられるかどうかの命綱なんです。役員報酬ですか? 3万8000円です。とにかく薄給です(笑)」
遠征時にはチームのワゴン車で移動する実業団選手を横目に、中村は自分で車を手配し、自ら運転することも。
「正直に言うと、ときどき『あぁ、みんなは大企業の社員として、僕の10倍以上はもらっているんだろうなぁ』と思うことはあります。実業団選手は最新のトレーニングもどんどん取り入れているし、練習環境の差はやはり大きいと思います。ただ、僕なら2、3カ月、ヨーロッパの田舎で1人で合宿する時間も作れます。それはそれで強みかなと(笑)」
2021年の夏は、ジャンプ台のあるオーストリアの片田舎、ビショフスホーフェン付近に一軒家を借りてトレーニング。最初はスーパーで買い物をしても「手に取った商品が食べられるものなのかどうかがわからないくらい」という状況だったが、持ち前のコミュニケーション能力で村人と溶け込むまでになった。
「近くの牧場主のお父さんと仲よくなって『ナオキ、お前のために干し肉作ってきたぞ』と肉を担いできたり、ナイフをプレゼントされたこともあります。その地方では、子供が10歳になると、両親からナイフをプレゼントされる伝統があるらしいんです。『お前は俺の“息子”だ。もう25歳だけどな』って」
大学時代にデザインと建築を学んだ中村は、Webサイトを作るのもお手のもの。SNSや自身が作ったオンラインサロン「フライングラボラトリー」では、控え室で準備をする選手の写真をアップしたり、会場の様子を生中継したりするなど、スキージャンプの裏側を日本語と英語で積極的に発信している。
「僕として今できる力で、スキージャンプという競技を盛り上げていきたい」
スキージャンプ日本代表男子チームがこれだけ高い結束を見せているのには、中村の明るく人懐っこい性格が大きく貢献しているのは間違いない。
「毎年オフには陵侑と沙羅ちゃんと一緒に札幌で“同期会”をして、しこたま飲んでシーズンのストレスを発散するのが恒例です。2人が趣味のスニーカーの話で盛り上がって、僕は置いてけぼりになることもあるんですが(笑)」
2022年のオフは北京の思い出話で、より楽しい“同期会”になるのは間違いなさそうだ。
取材/文・関谷智紀(スポーツライター)
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