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「ベイダーがポカリ3リットルを一気飲み」レスラー500人を手がけた衣装職人語るレジェンド達のとんでもない素顔
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.03.13 06:00 最終更新日:2022.03.13 06:00
「今の仕事を始めるきっかけは、三沢(光晴)さんのマスクを作ったことなんですが、もともと子供のころからマスクマンが大好きだったんです」
そう語るのは、183cm115kgの巨体で「自分はレスラーのマネキン代わりになれる」と豪語する、コスチュームメーカー「KONDOU SHOES」のデザイナー兼代表の小栗修さん(50)だ。
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現在まで、国内外500人以上のプロレスラーのマスクやガウン、リングシューズなどを手がけてきた。今年50周年を迎えた新日本や全日本など、大手プロレス団体のコスチューム製作でシェア約8割を占める業界の第一人者なのだ。
「小学生時代にプロレスにハマったのですが、きっかけは(ミル・)マスカラスですね。この年代でマスクマン好きといったら、やっぱりマスカラスから入ったんじゃないですかね。
彼の覆面が欲しくて、ゴム製の安いものを買ったり、自分でガムテープを貼って作ってみたり……。その後、初代タイガーマスクが出てきて一気に虜になりました」
小学5年のとき、3万円もする初代タイガーのレプリカマスクを買ってもらい、母親のミシンを借りて見よう見まねで同じものを作り始めた。既製品のマスクをばらして構造を確かめ、自分のジャージの生地などを使用して、独学でマスクを作る日々を送っていたという。
そして高校2年のとき、後楽園ホールで運命の瞬間が訪れる。
二代目タイガーマスクの三沢光晴にサインをもらうため、自分で作ったマスクを手渡すと、「それ、君が作ったの? 今度俺にも作ってよ」と言われたのだ。小栗さんは大喜びで、三沢用のタイガーマスクを作成した。すると、実際に試合で着用してくれたのである。
「自分が作ったマスクを着けてリングに上がってくれて、もう大感激でしたよ。それ以後、タイツを作ったりと、亡くなるまでの20年間、三沢さんにコスチュームを提供し続けたんです」
今でもマスクや衣装、リングシューズなどを独学で作っているという。
「僕はプロレスが大好きで、誰よりもプロレスを知っている自信がある。好きだから続けられるんです。そういう根っこがないと、こういうモノ作りはできないんじゃないかな。体重100kgの人間が履いて、激しい試合をこなせる耐久性のものなんて、普通の靴屋じゃ作れないですよ(笑)」
三沢の衣装を担当し、全日本プロレスの会場に出入りするようになった小栗さんのもとへは、ほかの選手からも注文が相次ぐようになった。
「外国人も(スタン・)ハンセンに(スティーブ・)ウィリアムス、ジョニー・エース、ビッグバン・ベイダーなどに作りました。ベイダーは衣装を洗濯しないから臭うと有名でしたが、女癖も悪かったですね(笑)。
アメリカのスポーツドリンクはまずいらしく、日本に来ると『ポカリスエットが飲みたい』とよく言われました。1リットルのポカリを用意したんですが、一気に3本くらい飲んでいましたね。
また当時は、会社員をやりながら趣味で衣装を作っていたので、選手には材料代だけでいいからと。でも、会社員をやめて専業になってからも値上げはしていないんです。
材料の仕入先も韓国や中国、台湾、アメリカにまで買いつけに行ってました。同じパンツでも、いつも黒じゃなくて地方興行では赤にしたり、ビッグマッチなら黄色とかに変えたらお客さんも喜ぶんです」
小栗さんの衣装の評判は、他団体にも広がっていった。
「新日は、小島(聡)さんには若いころから作っています。そうしたら、レフェリーの田山正雄さんに『ジャイアント・バーナードとか、外国人選手にも作ってくれないか』と言われて。それで作ったら、俺も俺もってみんながオファーしてくるんです。
オカダ(・カズチカ)さんには日本に帰ってきたときから作ってるし、棚橋(弘至)さんや内藤(哲也)さんにも提供しています。
本間(朋晃)さんは全日にいたころから作っていますが、筋肉を浮き立たせるために油を塗るんですよ。そうすると、エナメルの衣装だからすぐ劣化してしまう(笑)。そういう衣装の修繕もやっています」