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【追悼】オシム元監督を支えたアシマ夫人、夫の体調不安で「いつもそばに」…知将が大嫌いなPK戦では “伝達役” も

スポーツ 投稿日:2022.05.02 20:10FLASH編集部

【追悼】オシム元監督を支えたアシマ夫人、夫の体調不安で「いつもそばに」…知将が大嫌いなPK戦では “伝達役” も

再来日で成田空港に降り立ち、ジェフサポーターから大歓迎を受けたオシム氏とアシマ夫人

 

 元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏が5月1日に亡くなった。享年80。母国ボスニア・ヘルツェゴビナのメディアによると、オーストリア・グラーツの自宅で亡くなったという。

 

 旧ユーゴスラビア出身で同国最後の代表監督を務めたのち、2003年にはジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)の監督に就任。2005年には「ナビスコ杯」優勝で同クラブに初めてのJリーグタイトルをもたらした。

 

 

 2006年、サッカー日本代表監督に抜擢されると、ドイツワールドカップで1次リーグ敗退のチームの再建を任された。 “オシム語録” も注目を集め、日本に「オシムジャパン・フィーバー」が巻き起こるなか、2007年11月に脳梗塞で倒れ、代表監督退任を余儀なくされた。

 

 オシム氏が代表監督に就任した2006年当時、本誌でも特集記事を掲載。そのなかでオシム氏の1歳年下の夫人のアシマ・オシムさんとのエピソードを紹介している。

 

 2人の出会いは学生時代まで遡る。青年時代のオシム氏がアシマ夫人の家庭教師をしたのだ。数年の交際を経て、オシム氏もユーゴ代表選手として出場した1964年の東京五輪直後に結婚した。

 

 1978年に現役生活を引退したオシム氏は、1979年に監督人生を歩み始める。それ以来、アシマ夫人は “サッカー監督の妻” を務めてきた。

 

 自宅では世界各国のサッカーリーグの試合を観戦するなど、サッカーに全生活を捧げていたオシム氏。アシマ夫人の夫への献身について、夫婦の知人はこう明かしていた。

 

《彼(オシム氏)は指導の際、本気で選手を叱り、本気で誉めるからこそ、多くの体力を使ってしまうわけです。また、試合観戦ものめりこむため、ストレスを多く抱えるというんです。それでなくとも血圧が高いほうなので、健康面の不安もある。

 

 だからこそ、何かあったときに自分がそばにいれば手助けすることができると、一緒に試合会場に出かけていくのです》(「週刊FLASH」2006年9月12日号より、以下同じ)

 

 オシム氏はジェフ監督時代をはじめ、代表監督就任後のJリーグ視察の際にもしばしば夫人を現地に帯同させていた。これは夫人の “出しゃばり” ではなく、夫の体調が不安だったためだ。

 

 世界中にいるオシム氏の教え子や各国からの取材依頼は自宅の電話にかかってきた。その電話を取って、オシム氏につなぐのもアシマ夫人の役割だ。

 

 もちろん、こうした伝達役を務めるのは電話の応答時だけではない。オシム氏が大嫌いな「PK戦」のときも夫人の出番だ。

 

 じつはジェフ時代の2005年、ナビスコ杯優勝もPK戦の末に決まったが、そのときオシム氏の姿はベンチになかった。「PKはくじ引きみたいなもの」と評する彼が、その様子を見届けることはない。

 

《では、誰がPK戦の結果を教えるのか。コーチかチーム関係者? はたまた控え選手か? 答えはすべてNOである。伝達役は何を隠そう、アシマ夫人なのである。

 

 テレビやスタジアムで結果を見届けた彼女が、携帯電話を使って夫に知らせる。「あなた、もう終わったわ。グラウンドに出てきてもいいわよ。結果はねぇ……」》

 

 2007年のアジアカップの準々決勝・オーストラリア戦。延長後も同点のままPK戦に突入すると、オシム氏はピッチを去り、ロッカールームに戻っていった。これはオシムジャパンの語り草となっている。

 

 その後、PK戦を制して日本が勝利するのだが、この結果をオシム氏に知らせたのもアシマ夫人だったのだろうか――。

 


( SmartFLASH )

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