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新庄剛志、メジャーリーグ入りできたのは野村克也のおかげ…トライアウトでも“野村バット” を使用
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.06.06 11:00 最終更新日:2022.06.06 11:00
6月3日、日本ハムの新庄剛志監督が、2006年以来16年ぶりに古巣の阪神タイガースのホームグラウンド・甲子園球場で試合したことが話題になりました。
阪神に1990年から2000年まで10年間所属していた新庄さんが、その日、スタンドの阪神ファンに帽子を取って一礼すると、大きな歓声が上がっていました。
筆者はかつて、プロ野球選手に復帰するためトレーニングに励んでいた新庄さんに、練習場で取材しています。その際に阪神時代の恩師・野村克也さんとの思い出をお聞きしました。
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室内練習場の隅にバットが4~5本きれいに並べてあったので、筆者はプロ野球の「12球団合同トライアウト」を受けるときに使用するバットなのか聞きました。
「そう。このバットの形は全然よくないんだけど、トライアウトのときは、これで打ちたいの。なぜかと言うと、グリップ見て。『19』って書いてるでしょ。野村(克也)さんの背番号。このバットは野村さんが現役時代に使っていたそのままのモデルなの。野村さんの記念館に飾ってあったバットを貸してもらって、バット工場に頼んで作ってもらったのよ。だから昔のバットの形ぽいでしょ。これで打ちたいね」
阪神時代、バッティング指導をしていただいた恩師と、ともに戦うという新庄さんの思いを感じます。
「バッティングは、来たボールに対して、芯に軽くコンて合わせることが大事やから。これは野村さんに教えてもらった。俺が野村さんに『バッティングって、腕で打つんですか? 腰で打つんですか?』って聞いたの。
そしたら『両方や。まず体の力を抜くやろ。ピッチャーのボールをバットの芯に当てようと思ったら、人間の体はピッチャーが投げてくるフォームに対して、早くタイミングを取ろうとする。それをいかにボールに集中してバットの芯に当ててあげるか。そうすると、長い間、野球をやってきているから、自ずと腕も腰もすべていいバランスでボールをとらえられる』と教えてもらって。
その話の流れから、野村さんに『お前は何番を打たせたら真剣に集中してやってくれるんや?』と聞かれたから『それは4番でしょ』って(笑)。そしたら次の日から4番になって、俺バンバン打って、ホームランが入る入る。その年に28本(生涯最多ホームラン数)打ったから。それが評価されてメジャー行ったんよ」
新庄さんがメジャーリーグに行けたのは、野村さんのバッティング指導に加え、選手の希望を柔軟に受け入れる采配にあったんですね。
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している
( SmartFLASH )