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全米オープン4位の松山英樹「オフはプールではしゃぐことも」…元キャディが語る素顔
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.06.22 11:00 最終更新日:2022.06.23 14:36
6月19日(現地時間)に終了した米男子ゴルフの「全米オープン選手権」。前日の17位から、最終日に猛チャージをかけ、4位という好成績で大会を終えた松山英樹選手(30)。
2021年、メジャー日本人初となる「マスターズトーナメント」優勝を成し遂げ、名実ともに世界のトップまで登りつめた現役プレーヤーだ。
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「3日めの後半から松山選手がスイッチを入れてギアを上げ、集中力も上がったのを感じました。最終日、フィールド全体でただひとりノーボギー5バーディ、さすがの一言でした。
あの難しい舞台、優勝争いしている状況でただただ『すごい』しか言えないですね。今年最後の『全英オープン セントアンドリュース』が楽しみになってきました」
松山選手の敢闘をこう称えるのは、松山選手がプロデビューした2013年から2019年まで専属キャディを務めていた進藤大典氏。
松山選手が世界ランキング2位に昇りつめるまで、あらゆる大会で苦楽をともにしてきた進藤氏に、松山選手の秘蔵エピソードを語ってもらった。
2003年からプロキャディとして世界中を転戦していた進藤氏。松山選手の専属キャディとなったきっかけを、こう振り返る。
「それまで僕は、宮里優作プロ、片山晋呉プロ、谷原秀人プロなどのキャディとして国内外で活動していました。
松山選手との出会いは2012年、タイでおこなわれた『アジアアマチュア選手権』です。そのときにキャディを務めたのが最初ですね。まだ彼はプロになる前で、3連覇がかかった大事な大会。すごいプレッシャーのなかで戦っていたと記憶しています。
3連覇を逃した試合の後、ロッカールームに2人きりでいるとき、『来年からプロに転向するので、専属キャディを務めてほしい』と松山選手に言われたんです。
結果がすべての世界で、負け試合でバッグを担いでいた僕に『一緒にやろう』と声をかけてくれた。決定的な理由は聞いていませんが、当時の僕はキャディとして未熟ゆえに懸命でした。松山選手はその姿勢を見て評価してくれたのかもしれません」
翌2013年、松山選手はプロに転向。進藤氏は全力で松山選手をサポートすることとなる。2人はチームとしてアメリカに拠点を移した。
「世界中を転戦しましたね。渡米当初は松山選手も僕も英語が話せず、コミュニケーションに苦労しました。ほかの選手やキャディさんとのコミュニケーションはもちろん、大会で英語ができないことは大きなハンデでした。
ゴルフでは、大会におけるルールやジャッジに関して、何かトラブルが起きたら、選手が自己主張しなければなりません。僕たちの場合は英語が話せないため、言われるがまま従うというケースも多々あり、明らかに不利でしたね」
進藤氏は、松山選手とスタッフの計4人で、フロリダで共同生活を送った。
「チームみんなで住み、練習や食事を常にともにしていました。毎週大会で全米を転戦していたので、1年間のうちに家にいたのは、計ひと月ぐらいでした」
共同生活では松山選手とともに羽目を外すこともあったという。
「普段はゴルフの話ばかりしていたチームなのですが、オフにゴルフから離れて楽しむこともありました。フロリダの家にはプールがあり、そこに飛び込んだりして、遊んでいたんです。そのとき、僕がはしゃぎすぎて、肋骨にヒビがはいってしまいました(笑)。松山選手に逆に僕の体を心配させてしまいました」
進藤氏から見た松山選手はどんな人物だったのだろうか。
「松山選手は口数こそ少ないですが、多くを語らずとも律義で責任感が強い人です。僕は彼と世界で戦うため、家族を置いてアメリカに行った。彼はそのことも理解しています。
だからこそ『結果を出さなければいけない』と、自分だけでなく、周囲の人の人生をも背負っていました。勝って稼がなければならないというプレッシャーもあったと思います。
キャディである僕にとって、彼は本当は雇用主。苦しかったり、対立したときに、僕の首を斬るのは簡単なこと。でも松山選手はそれを絶対にしない人。すごい甲斐性というか、懐が広い人なんです」
そんな松山選手だが、渡米後にはつらい時期もあったという。
「アメリカに行って3年は本当に結果も出なくてつらい時期でしたね。言葉も通じず、知っている人もいないなかで、ひたすら頑張ったと思います。世界ランキング50位に入ってから20位くらいまでは早かったのですが、そこからトップ10に入るまでの壁の高さを感じる毎日でした」
2014年の「ザ・メモリアル・トーナメント」で優勝し、世界ランキング14位になった松山選手。世界ランキングトップ10に入れたのは2016年のこと。その時期の快進撃を、進藤氏はこう振り返る。
「世界ランキング5位となり、ワールドランキングトップ10の景色を見たときは感動しました。ワールドランク2位になったときには、もうメジャーで自分たちは本当に勝てる存在なのだと、大きな自信になりましたね」
2019年、進藤氏は松山選手との専属契約を終了させ、キャディからもほぼ卒業となった。
「やめることを決めたとき、『英樹のキャディをやめたら、もうキャディはやらない』と松山選手に伝えました。それに対しても『わかった』というだけで、何か理由を尋ねたり、聞いてくるような男ではないんです。ただ、キャディとして自分がやりきったということは、理解してくれていたと思います」
2021年の松山選手のマスターズ優勝に関して、進藤氏はこう語る。
「日本人がマスターを優勝するなんて歴史的にも本当にすごいことで、ひとりのゴルフファンとして感動しました。この前までは『日本人がそんなすごいことを成し遂げられるのか』という気持ちと『松山選手ならやり遂げてくれる』という2つの感情をもっていましたね」
「今でも戦友であり、松山選手のゴルフに対する姿勢が忘れられない」と進藤氏はいう。
「数多の選手を見てきましたが、他のプロゴルファーも含めて、彼ほど愚直にゴルフに取り組んでいる人を見たことがありません。一球も気持ちの入っていない球を打ったことはない選手なんです。
練習や、負けが決まったような試合では、人の気持ちは切れてしまうこともある。それでも、彼は常に全力でした。練習は試合のように、試合は練習のようにと、常に真剣な姿勢で取り組むのです」
世界的なキャディとしての経験を活かして、現在、進藤氏はスポーツマネジメントの世界で活動しつつ、ゴルフのジュニア選手の育成に力を注いでいる。そんな進藤氏が、今後の松山選手に望むこととは――。
「松山選手のおかげで、日本人として誰も見たことのない世界の頂点の景色を見ることができました。本当に感謝しています。英樹には体を大事にして、1日でも長く大好きなゴルフを続けてほしいですね」
( SmartFLASH )